中央区の池

数寄屋橋公園の「めぐりあいの泉」

126

124

所在地:中央区銀座5-1

 銀座の数寄屋橋交差点の脇にある小さな公園が数寄屋橋公園です。そもそも数寄屋橋は江戸初期に江戸城外濠に架けられた橋ですが、一般には全国の女性を夢中にさせたドラマ『君の名は』の舞台として有名です。当時の橋は昭和4年に架け替えられた石造りのアーチ橋で、この付近の外濠の埋め立てに伴い昭和30年代初頭に取り壊され、現存しません。外濠跡地には高速道路が建設されています。

 数寄屋橋公園では岡本太郎作の「若い時計台」という時計塔がひときわ目を引きますが、橋に用いられていた石材を利用した数寄屋橋跡の碑もあり、『君の名は』の作者・菊田一夫による「数寄屋橋此処にありき」の文字が刻まれています。そして、公園の奥の底の青い池は「めぐりあいの泉」と名づけられ、噴水や壁泉があります。

125

122

| | コメント (0) | トラックバック (0)

佃公園の池

039

(佃公園の池)

040

所在地:中央区佃1丁目

 佃煮発祥の地として知られる佃島。徳川家康に従って江戸に移住した摂津国佃村の漁民が隅田川河口部の中州を拝領し、これを埋め立てて島を築いたのが始まりです。

 今も昔ながらの漁村の風情が残る一方、それを大川端の高層ビル群が睥睨し、奇妙といえば奇妙だけれど、東京らしいといえば東京らしい景観が見られます。

042

 その佃島(現在は埋め立てにより、北方にあった石川島とも南方にあった月島とも一体化しています)の一角にあるのが中央区立佃公園です。隅田川を見渡す小高い丘にはかつての灯台のモニュメントもあります。そして、ここにも池がありますが、むしろ、公園の南側にある堀(佃川支川)や摂津の住吉神社の分霊を勧請した住吉神社とその界隈の方がずっと風情があり、味わい深いです。

044

(佃島の人々の心の拠り所・住吉神社)

043

(住吉神社境内にひっそりと立つ二宮金次郎像)

045

(こんな井戸も残る) 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

晴海トリトンスクエアの池

075

072

所在地:中央区晴海1丁目

 黎明橋公園から晴海通りをはさんだ向かい側がオフィスビルや高層住宅、複合商業施設からなる晴海アイランド・トリトンスクエアです。この中に南欧をイメージしたような水の風景があります。

 埋立地ならではの歴史とも風土とも無縁な、このような人工池は本当は探訪の対象からはずれるのですが、たまたま見つけて写真も撮ってしまったので、一応紹介しておきます。

069

068

071

| | コメント (0) | トラックバック (0)

黎明橋公園の池

066

所在地:中央区晴海3-1

 月島・勝どきと晴海を隔てる朝潮運河に架かる橋で、晴海通りを渡すのが黎明橋です。そして、橋の晴海側のたもとにあるのが中央区立黎明橋公園です。まぁ、普通の児童公園で、公園内に普通の池があります。小高い所に水源があり、石組の間を流れ下り、池に注ぐというよくあるパターンで、冬は水が止まっているというのもありがちです。ただ、池にはちょっとユニークな噴水があります(下写真)。

065

| | コメント (2) | トラックバック (0)

越前堀児童公園の池

007

所在地:中央区新川1-12

 日本橋川と亀島川、隅田川によって囲まれた中央区新川のほぼ中心に区立越前堀児童公園があり、池があります。池には「ECHIZEN LINE」というネームの入った船の形の遊具が設置され、なぜかゾウの親子もいるという完全に子どもの水遊び用の作りになっています。水源は小高いところにあり、井桁から湧き出た水がせせらぎとなって池に注ぐようになっていますが、僕が訪れたのは冬だったので水は止まり、池には氷が張っていました。

010

 ところで、この一帯はかつて霊巌島(霊岸島)と呼ばれました。その名は江戸時代初期に隅田川河口付近のヨシが生い茂る中州を浄土宗の僧・雄誉霊巌上人が埋め立て、寛永元(1624)年に霊巌寺を創建したことに由来します。ちなみに現町名の新川は万治年間(1658-61)に河村瑞賢が亀島川と隅田川を結ぶ運河を開削し、これが新川と呼ばれたことに基づきます。新川は戦後、完全に埋め立てられ、今は道路になっています。

 なお、霊巌寺は明暦の大火(1657)で全焼し、深川の白河町に移転、霊巌島には江戸の町人が集団移住してきました。

 さて、この霊巌島には福井藩主・松平越前守の浜屋敷がありました。東側は隅田川に面し、北西南の三方には堀がめぐらせてありました。これが越前堀で、荷を積んだ船も出入りできたようです。

 明治以降、屋敷跡は越前堀という町名となりましたが、堀は関東大震災以後、ほぼ埋められ、戦後、わずかに残っていた隅田川に近い部分も埋め立てられて消滅しました。町名も「新川」と改められ、今や越前堀の名を残すのはこの小さな公園のみとなっています。これらの歴史を後世に残すため、公園内には「霊巌島之碑」や発掘調査で見つかった越前堀の護岸に使われた石があります。

 なお、この公園は関東大震災後につくられた「帝都復興小公園」の一つでもあります。

009

(池のほとりに咲く越前水仙)

013

(公園内にある「霊巌島之碑」)

014

(公園内の堀跡付近に展示された護岸の石垣石)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中央区立桜川屋上公園の池

020

所在地:中央区湊1-1-2

 亀島川に面した東京都下水道局の桜橋第二ポンプ所の屋上にあるのが中央区立桜川屋上公園です。下の道路からは公園の様子はまったく分からないので、入口の案内図に池が描かれているのを見た時は、あまりに意外な場所に池があるので大発見をしたような気分になりました。まぁ、実際は建物の屋上を庭園化しただけなので、池といっても大したものではないのですが…。

 ゲートボール場もある公園内にはさまざまな木が植えられ、花が咲き、せせらぎが作られ、それが池に注いでいます。魚などはいません。

018

016 

 あずまやもあって、この一帯で働く人々の憩いの場にはなっているのでしょう。

019

(公園の東側から亀島川を見下ろす)

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

浜離宮恩賜庭園・潮入の池と鴨場

Pb010777

P1010479

(潮入の池)

所在地:中央区浜離宮庭園

 江戸時代に海を埋め立てて造られた庭園で、徳川将軍家の「浜御殿」として利用され、明治維新後は皇室の離宮となりました。戦後、東京都に下賜され、1946年4月から公園として一般公開されています。春の桜や菜の花畑、秋はコスモスなど四季折々の花が咲き、外国人観光客にも人気のスポットになっています。伝統的な日本庭園の背景に聳える高層ビル群は目障りといえば目障りですが、感覚が麻痺してきたせいか、現代の東京らしい風景とも思えます。
 園内の池は海水を引き込んだ「潮入の池」で、ボラやハゼ、ウナギなどが棲んでいるそうです。江戸時代、このような潮入の池は数多く造られましたが、そのうち今も海水池として残るのはここだけです(大田区の東京港野鳥公園などに新しい潮入の池がありますが)。

P1010480

(潮入の池の水門)

 園内にはほかに2つの鴨場(新銭座鴨場と庚申堂鴨場)があります。こちらは淡水の池で、鴨を安心させるため周囲は常緑の木々に囲まれ、池全体が見える覗き窓のついた小屋や鴨をおびき寄せて捕らえるための細い引き込み水路(引き堀)があります。どのように猟をするかというと、まず池にオトリのアヒルを放します。アヒルは木槌で板を叩く音を合図にして餌付けしておきます。池に鴨がやってくると、餌と音でアヒルを引き堀に呼び込み、あとについてきた鴨を堀の両側の土手の陰に隠れていた人が網で捕らえる、というかなり手の込んだやり方です。
 入園料300円。

P1010476

(新銭座鴨場)

P1010481

(庚申堂鴨場)

| | コメント (0) | トラックバック (1)