大田区の池

磐井神社の弁天池

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所在地:大田区大森北2-20-8

 京浜急行・大森海岸駅に近い東海道沿いにある磐井神社は平安時代の延喜式神名帳にも記載された大変古い神社です。神社に伝わる鈴石は神功皇后ゆかりの物との伝承を持ち、ころがすと鈴のような音がすると言います。鈴ヶ森の地名もこの石に由来するといい、かつては鈴ヶ森八幡とも呼ばれ、徳川将軍も参拝しています。

 現在は埋め立ての進展により海岸とは少し離れていますが、神社はもともと海に面していて、古くは海中に立つ鳥居もあったそうです。古い地図を見ると、神社の西側と北側を囲むように入り堀があり、東海道には八幡橋という橋がかかっていましたが、堀も橋も現存しません。

 ところで、神社の名前は「磐井」という古い井戸に由来します。この井戸は東海道を往来する旅人たちに親しまれ、古くから霊水、薬水として知られていました。また、心が清らかな人が飲めば清水ですが、邪心を持つ人が飲むと塩水になるという話も伝わっています。海辺の井戸ならではの伝説でしょう。境内にあったこの井戸は現存しますが、国道の拡幅のために神社の敷地が削られ、現在は国道の歩道上にあります。

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 さて、神社の境内南側には池があり、笠島弁財天として東海七福神のひとつに数えられる弁天様が祀られています。同じ旧東海道沿いにあり、すでに紹介した鮫洲八幡神社(品川区東大井1丁目)の弁天池と似た感じですが、訪問時は震災の影響か、鳥居が損傷し、立ち入ることはできませんでした(そういえば、鮫洲八幡の弁天池の鳥居も倒壊していました)。

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池上本門寺・松濤園の一般公開2011(終了しました)

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 毎年9月初旬に1週間だけ一般公開される池上本門寺の名園・松濤園。今年も以下の日程で公開されます。

 2011年9月5日(月)~9月11日(日)

  10:00~16:00 入園無料

 江戸初期の茶人・作庭家として名高い小堀遠州によって作られた、大きな池を中心とする回遊式池泉庭園を散策できる貴重なチャンスです。

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呑川水門と旧呑川緑道の池

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所在地:大田区大森東5丁目

 世田谷区内に水源をもち、目黒区を通って大田区へ流れ、東京湾に注ぐ呑川は洪水・高潮対策および舟運の便をはかる目的で昭和6(1931)年に下流部の付け替えが行われ、東蒲田付近から直線的に海に通じる新呑川が完成しました。一方、旧呑川は1970年代頃から埋め立てられ、緑道になっています。そして、河口部のわずか100メートル余りの区間だけ水面が残され、今も船溜まりとして利用されています。この旧河口と東京湾(平和島運河)の接続点に設置されているのが呑川水門です。すでに紹介した南前堀水門、北前堀水門と同じ昭和41(1966)年に完成し、姿もそっくりな幅員6メートルの緑色の水門で、上空制限高はA.P+5.6メートルとのこと。

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(水門付近から見た旧呑川河口の船溜まり)

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(船の陸揚げ用の設備がある)

 ちなみに新呑川の河口には水門はありません。

 ついでに紹介しておきますが、旧呑川を埋め立ててできた緑道公園にはちょっとした池やせせらぎがあります。子どもたちが遊んでいましたが、水は清らかとは言えないようです。花の季節には睡蓮や菖蒲などが咲くのかもしれませんが…。

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(旧呑川緑道の池と流れ)   

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下丸子公園の池

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所在地:大田区下丸子4丁目

 多摩川に近い大田区立下丸子公園には小高い丘の上から流れ出るせせらぎがあって小さな池に注いでいます。この池には大田区内にもいくつかあった多摩川の渡船場のうち最後まで残った矢口の渡し(昭和24年廃止)をイメージして渡し場と舟があります。

 せせらぎは循環水で、流れの運転期間は5月から10月まで。訪問時には水は止まっていて、池も空っぽでした。

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羽田玉川弁財天の弁天池

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所在地:大田区羽田6-13

 多摩川の河口に近い羽田6丁目の堤防沿いにあるのが羽田玉川弁財天です。この弁天様は弘法大師空海が護摩の灰を固めて自刻したという伝承をもち、古くから信仰を集めてきたということです。かつては海老取川の東側の、現在は羽田空港の敷地になっている砂州上に鎮座しており、海老取川にかかる橋の名は今も弁天橋です。昭和20年9月にGHQの命令で現在地に強制的に移転させられました。

 社殿の横には小さな池があり、金魚や亀がいて、中の島にも石の祠があります。

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 なお、この弁財天は800メートルほど西方の龍王院の境外社となっているようです。

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(多摩川河口付近の風景)

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六郷水門と南六郷緑地の池

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所在地:大田区南六郷2-35

 多摩川左岸の六郷橋下流1.3キロほどの地点に六郷水門があります。赤レンガの土台の上に築かれたコンクリート製の重厚な造りの水門は巨大な兜を思わせ、都内に数ある水門の中でも際立って個性的な姿をしています。

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 多摩川沿いの低地である六郷地区(当時の六郷町)の宅地化が進んだ昭和初期、大雨による浸水被害を防ぐため、域内を流れる六郷用水の余水や六郷全域および池上・矢口・羽田の一部地域の雨水や生活排水を多摩川に流す排水路が整備され、多摩川との合流点に設置されたのが六郷水門で、完成は昭和6(1931)年3月です。

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(随所に見られる旧六郷町の紋章)

 下水道の整備とともに排水路(雑色運河と呼ばれたそうです)は役目を終え、今も釣り船が係留される末端部を残して埋め立てられましたが、水門は今も恐らく現役と思われ、多摩川の増水時には閉鎖されるのではないかと思います。水門の脇にはレンガ造りの排水機場もあり、土手の下をくぐる排水樋門が設置されています。

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 水門周辺の多摩川はヨシ原や干潟があり、なかなか風情があります。ちなみに多摩川は調布取水堰(大田区田園調布)までが感潮域であるため、この付近も潮の干満に応じて水位が変化します。

 六郷水門内の運河の突き当たりが大田区立南六郷緑地で、ここには六郷水門の形を模したトイレがあるほか、せせらぎと池があります。また、満潮時には多摩川の水が運河を通じて公園内にまで入ってくる仕組みになっています。

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(六郷水門の形を模したトイレとせせらぎ)

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(せせらぎの水が注ぐ池)

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(満潮時には運河の水が入ってくる)

 

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池上梅園の池

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所在地:大田区池上2-2-13

 呑川の低地に面した池上本門寺のある高台の西側斜面を利用した大田区立池上梅園の土地は北半分が戦前まで日本画家・伊藤深水の自宅兼アトリエで「月白山荘」と呼ばれていました。しかし、戦災で焼失し、戦後は築地の料亭経営者・小倉氏の所有となり、南半分を拡張して別邸として使用されました。小倉氏の没後、庭園として残すことを条件に遺族から東京都に譲渡され、昭和53年に大田区に移管。紅梅を中心に植林・拡張が進められ、今では大田区の花である梅は370本(白梅150本、紅梅220本)を数えるまでになり、花の時期には多くの人で賑わいます。

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 台地の斜面下には湧水が存在し、鯉の泳ぐ池もあります。池畔に和室があるほか、茶室もあって、風情を醸し出しています。また、近年、都営地下鉄浅草線の西馬込駅付近のトンネル内の湧水を呑川の浄化用に導水すると同時に池上梅園の池にも給水しています。

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(水琴窟) 

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ヒルズ久が原の池

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所在地:大田区久が原5-27

 ヒルズ久が原は老朽化した公団住宅「久が原グリーンハイツ」(1957年分譲)の建て替えによって生まれた大規模マンション群で、その敷地は久が原台地の末端部と呑川沿いの低地にまたがっています。ここには古くから池があり、現在も住民の憩いの場となっています。

 地形的にも湧水の池だったに相違なく、付近の発掘調査で弥生時代から古墳時代にかけての遺跡も見つかっているそうです。

 現在の水源は台地の斜面中腹に位置し、湧き出た水はせせらぎを流れ下り、池に注いでいますが、恐らく池の水を浄化して循環させているのでしょう。ただ、斜面下にわずかながら湧水も見られるようです。

 鯉の泳ぐ池には噴水があり、池畔にあずまやも設けられています。

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聖蹟蒲田梅屋敷公園の池

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所在地:大田区蒲田3-25

 京浜急行・梅屋敷駅の南方、線路と第一京浜にはさまれた細長い公園が聖蹟蒲田梅屋敷公園です。

 梅屋敷とは山本忠佐衛門という人物が食あたりや暑気あたりに効く「和中散」という旅の常備薬の売薬所を開いた屋敷内に文政年間(1818~1830)に、子の久三郎が梅の名木を集め、カキツバタなどの花を植え、東海道の休み茶屋を開いたことに始まるといいます。

 安藤広重の浮世絵にも描かれるほどの名所となり、東海道を行きかう旅人だけでなく、多くの文人や行楽客が訪れたほか、12代将軍・徳川家慶の鷹狩りの際の休み所にもなったそうです。

 また、明治以降も明治天皇の行幸が9度にも及んだということです。現在、公園名に聖蹟と付いているのはそのためです。

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 かつての名園も交通の激しい第一京浜と高架化工事が進む京浜急行にはさまれて、すっかり忘れ去られたような雰囲気ではありますが、循環式の池の周りに梅の木が植えられ、梅屋敷・和中散売薬所跡として大田区の文化財に指定されています。

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池上本門寺・松濤園の池

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所在地:大田区池上1丁目

 池上の本門寺は日蓮上人入滅の霊蹟として知られる日蓮宗の大寺院で、正式名を長栄山大国院本門寺といいます。

 日蓮は弘安5(1282)年、身延山を下り、常陸国に湯治に向かう途上、池上の郷主・池上宗仲の館に滞在し、この地において同年10月13日に61歳で世を去りました。宗仲は生前に日蓮が創建した本門寺に「法華経」の文字数と同じ69,384坪の土地を寄進し、寺は大いに発展し、その後も日蓮宗の大本山として信仰を集め、現在に至っています。

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(高台上にある本門寺には加藤清正寄進の石段を登る)

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(本門寺境内)

 広大な寺域の中心部は急な斜面に囲まれた台地上にあり、その北部に江戸初期に小堀遠州によって作られた庭園・松濤園があります。元来、住職の住まいである本坊の奥庭だったことから通常は非公開ですが、毎年9月上旬に1週間だけ一般公開され、散策することができます。

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 この庭園は起伏に富んだ地形を生かした回遊式池泉庭園で、周囲を丘に囲まれ、都会の喧騒からも隔絶されているため、時代劇の撮影でもたびたび使われているということです。

 また、1868年に江戸城の無血開城を取り決めた西郷隆盛と勝海舟による有名な会談の場所としても知られています。これは当時、江戸に進軍してきた新政府軍が本門寺に本陣を置いていたためで、会談が行われた池畔の四阿は現存しませんが、石碑が立っています。

 鯉が泳ぐ池の水源は地下水の汲み上げと思われますが、池畔には巨大な石灯籠なども配され、滝や渓流などもつくられています。ただ、訪問時には滝の水は止まっていました。

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(庭園には茶室もある)

  

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