千代田区の池

千鳥ヶ淵公園の池

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所在地:千代田区麹町1-2

 桜の名所としておなじみの千鳥ヶ淵公園のうち、半蔵門にほど近い半蔵濠に面した場所に四角い池があり、その真ん中に「自由の群像」があります。
 昭和30年に新聞事業先覚者20名を顕彰する目的で、電通が創立55周年記念事業として建立したものです(顕彰対象者はその後、追加されています)。像の制作者は菊池一雄。

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(「自由の群像」は自由のシンボル鳩の休憩場所になっている?)
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 池そのものは人工的で味気ないものですが、金魚が泳いでいます。

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 公園から見た半蔵濠と半蔵門。
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日比谷公園かもめの広場の噴水

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所在地:千代田区日比谷公園

 日比谷公園には何度も行っていますが、この噴水の存在には最近まで気がつきませんでした。
 公園南西角にある「かもめの広場」は1986年に公開された新しいゾーンで、それ以前は東京地方裁判所分室があったそうです。「郷土の森」として全国各地の樹木が植えられているほか、噴水池がつくられています。

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 池の真ん中の「鷗」と題する彫刻は淀井敏夫氏による1986年の作品で、「うかぶ雲、海鳥たちの訪れ、時の流れを告げる古い貝殻」をイメージしたもののようです。

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国会前庭・北地区の噴水池と日本水準原点

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所在地:千代田区永田町1丁目

 国会議事堂正門からまっすぐ伸びる並木道の両側に広がる緑地が国会議事堂前庭です。議事堂からみて右側が南地区で和風庭園、左側が北地区で洋式庭園となっていて、南地区の池についてはすでに紹介済みなので、今回は北地区を取り上げます。

 庭園は皇居の桜田濠を見渡す高台に位置し、江戸時代初期には加藤清正の屋敷があり、その後、彦根藩主・井伊家の上屋敷となった土地で、明治以降は陸軍省と参謀本部が置かれ、戦後、国会前庭として整備されたという歴史を有しています。憲政記念館がある園内には噴水池がありますが、長方形の味気ないもので、しかも、探訪時には水が止まっていたので、正直なところ面白いものではありません。この噴水池は三権分立を象徴する三面の時計塔とともに昭和35年に造られたものだということです。

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(池の向こうに水準原点標庫)

 ところで、この公園でもっとも興味深いのが敷地内にある「日本水準原点」。水準原点とは日本における土地の高さを測る基準となるものです。現在は国土の測量や地形図の作成は国土地理院が行っていますが、戦前は軍事機密にも関わるため陸軍の陸地測量部が担当しており、明治24(1991)年に全国の測量の基準となる水準原点が当時陸軍省の敷地だった当地に設置されたのです。

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 その水準原点は「日本水準原点標庫」と呼ばれる古代ローマ風の小さな石造建築の中にあり、見ることはできませんが、「台石に取り付けた水晶板の目盛の零線の中心」に当たり、その標高はずっと24.4140メートルだったのですが、2012年3月に訪問したら、24.3900メートルに修正されていました。当地の地盤が2.4センチ沈んだわけです。明らかに東日本大震災の影響であり、調べたところ、再測量の結果を受け、2011年10月21日付で数字が修正されたということです。

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 では、水準原点の標高が24.3900メートルとは一体どこからの高さかというと、これは東京湾の平均海面の水位を基準としています。具体的には東京湾の隅田川河口(当時)にある霊岸島の検潮場で明治6(1873)年から6年間にわたって測定した東京湾の潮位の平均値を標高0メートルと定め、これに基づいて水準原点の高さを測量し、日本全国の高さを測る不変不動の基準としたわけです。もちろん、今回数字が改められたことから明らかなように、水準原点の標高は絶対に不変というわけではなく、設置当初は24.500メートルでした。それが1923年の関東大震災による地殻変動で、24.4140メートルに8.6センチ沈下し、それ以後は88年にわたって変わらなかったのが、2011年の東日本大震災で88年ぶりにさらに2.4センチ沈んだわけです。今後も変動の可能性はあるので、現在は三浦半島の油壺に設置された検潮場の水位を基準に定期的に測量し、点検が行われています。

 どうでもいいことですが、園内で見かけた空き缶捨て場、なんか可愛くないですか?

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お玉ヶ池跡

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(お玉稲荷)

所在地:千代田区岩本町2丁目

 お玉ヶ池とは今の千代田区岩本町付近に江戸時代まで存在した池で、その大きさは不忍池と同じぐらい、あるいはそれ以上だったとも言われています。もとは桜ヶ池と呼ばれていましたが、池畔の茶店の娘、お玉が身を投げたことから、お玉ヶ池の名が生じたということです。池は江戸の街の発展とともに徐々に埋め立てられ、江戸時代のうちに姿を消しましたが、「お玉ヶ池跡」として東京都の史蹟に指定されています。

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(お玉稲荷の池)

 岩本町2-5にはビルの合間にお玉稲荷が祀られ、新旧の祠が並んでいますが、ここには小さな池もあります。

 また、そのそばの全宅連会館(岩本町2-6)の植え込みに「お玉ヶ池跡」の石碑、お玉が池児童遊園にも池跡を示す標柱と説明板があります。

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(全宅連ビルの「東京都指定史蹟お玉ヶ池跡」の碑)

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(お玉ヶ池児童遊園の「お玉ヶ池跡」の標柱)

 江戸時代には付近に多くの学者が住み、私塾を開いていたほか、剣の北辰一刀流・千葉周作の玄武館、磯又右衛門の柔術道場などがあったということです。また、安政5(1858)年には日本初の種痘所が開設され、これが後の東京大学医学部に発展しました。岩本町3丁目交差点付近と岩本町2丁目の加島ビルにお玉ヶ池種痘所の記念碑があります。

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(岩本町3丁目交差点のお玉ヶ池種痘所記念碑)

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(加島ビルの「お玉ヶ池種痘所跡」の碑) 

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日比谷公園の大噴水

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所在地:千代田区日比谷公園

明治36年に開園した日本で最初の洋風庭園である日比谷公園にある大噴水です。

 直径30メートルの噴水池は3段になっていて、最高12メートルの高さまで水を噴き上げる主噴水を中心にさまざまな水景色を演出しています。月1回の清掃日を除き、朝8時~夜9時まで稼働し、28分周期で24景を作り出すということです。

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三井物産本社のプラザ池(カルガモ池)

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所在地:千代田区大手町1丁目

 大手町にある三井物産本社前にある人工池はひと頃、カルガモが子育てをし、成長すると一家揃って内堀通りを横断して、皇居のお濠に引っ越すということで有名になりました。カルガモの引っ越しが近づくと、マスコミが殺到し、交通規制のために警察まで出動する大騒ぎでした。最近はあまりニュースにならなくなったようですが、今も毎年のようにカルガモが子育てしているようです。

 そもそも、この土地は江戸時代には徳川家康に古くから仕えていた重臣の譜代大名・酒井雅楽頭(うたのかみ)の上屋敷があった場所です。当時も庭園に池があったのでしょうが、現在の池は大名屋敷とはまったく関係のない人工池で、プラザ池という名前だそうです。水深は浅く、特に鯉などが泳いでいるわけでもありませんが、都会のオアシスではあります。

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 この時は池にはカルガモの姿は見えませんでした。数年前にここでカルガモ(成鳥のみ)の写真を撮った記憶があるのですが、どこかへ行ってしまいました。発掘したら追加でアップします。まぁ、カルガモなんて珍しくもないですが…。ここの場合、大手町1丁目という東京のまさにド真ん中だからこそニュースになるわけですね。 

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平河梅林坂の池

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所在地:千代田区平河町2丁目

 平河町の都市センターと全国都市会館の間に平河梅林坂と名づけられた散策路があります。その名の通り、梅の木が植えられていますが、ほかにも桜、モミジ、ハナミズキなどさまざまな樹木と草花が植えられ、四季折々に楽しめるようになっています。訪問時はヤブランが地味に咲いているぐらいでしたが…。そして、植え込みの中に人工の水源があり、ここから石組の間をせせらぎが流れ下り、坂下の池に注いでいます。

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 そもそも平河町という町名には次のような由来があります。江戸城を築いた太田道灌が菅原道真の霊夢を見たことから城内に天満宮を勧請し、梅林を造り、本丸から梅林を通って平河門に下る坂は梅林坂と呼ばれました。徳川時代になって神社は江戸城の外に移され、これが平河天満宮と呼ばれるようになり、その一帯が平河町となったわけです。平河梅林坂も現在の天満宮と少し離れてはいますが、そのネーミングもこうした歴史と関係があるのでしょう。

 坂下には「東の風」(寺田栄、1999年)という石のモニュメントがあります(下写真)。

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ホテルニューオータニの池

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所在地:千代田区紀尾井町4-1

 ホテルニューオータニの敷地は古くは加藤清正の下屋敷だった土地で、のちに井伊家の中屋敷となりました。現在の町名・紀尾井町はここに紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷があったことに因むものです。明治以降、伏見宮邸となり、戦後、外国人の手に渡りそうになった時、ニューオータニ創業者の故・大谷米太郎氏が買い取り、ホテルを建て、東京を代表する高級ホテルとして現在に至っています。

 敷地内の日本庭園は加藤清正の屋敷だった頃から400年以上の歴史を持ち、戦後、荒れていた時期もあるようですが、大谷氏の指揮のもと見事に改修整備された池泉回遊式庭園となっています。一歩、庭園に踏み入れると、予想外に起伏のある地形で、高さの異なるいくつかの池や高低差を生かした大小の滝(大滝は高さ6メートル)、渓流が豊かな緑の中に美しい水の景色を生み出し、水は最後にホテル南側の旧江戸城外濠(弁慶濠)に落ちています。昔からある石灯籠など見どころも多く、見事な錦鯉や朱塗りの橋なども印象的です。

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(朱塗りの橋がかかり、鯉が泳ぐ清泉池)

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 庶民にはなかなか敷居の高い感じのホテルですが、ニューオータニ美術館に行った際についでに見てきました。

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(旧江戸城外濠の弁慶濠)

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北の丸公園の池

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所在地:千代田区北の丸公園

 江戸城本丸の北側で、平川濠、清水濠、牛ヶ淵、千鳥が淵に囲まれた一角が北の丸です。今は公園として一般に開放され、日本武道館や東京国立近代美術館、科学技術館などがあります。江戸時代初期には幕府の重臣が住んで代官町と呼ばれ、後には徳川御三卿のうち田安家、清水家の屋敷となりました。また、明治時代には近衛師団の司令部や兵舎が置かれ、このうち司令部の建物が現在は国立近代美術館工芸館になっています。
 この公園にも池がありますが、特に由緒があるものではないようです。池そのものは芝生の園地に沿った平凡な池ですが、水源は園内南西側の小高い丘の一角にあり、そこから滝となって落ち、樹林の中を渓流となって下り、池に注いでいます。滝のそばには滝見台も設置され、なかなか風情があります。

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和田倉噴水公園の池

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所在地:千代田区皇居外苑

 東京駅から皇居に向かって歩くと、和田倉門交差点があり、左手が馬場先濠、右手が和田倉濠となります。この外濠を過ぎた右(北)側の一角が和田倉噴水公園です。皇居外苑の北東部に位置し、北側と東側を和田倉濠に囲まれています。
 昭和36年に皇太子殿下(今の天皇陛下)御成婚を記念して噴水がつくられたのが始まりで、その後、改修され、さまざまな噴水が美しい水の景色を演出しています。

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