杉並区の池

医王寺の薬師池(お目玉の池)

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所在地:杉並区上高井戸1-27

 世田谷の古道について調べていて、その存在を知ったのが杉並区上高井戸の明星山遍照院医王寺です。医王寺の北、杉並区と世田谷区の境界を通る道がかつて府中と江戸方面を結ぶ古代からの道なのではないか、という関心から、この付近に古くからあるらしい医王寺を訪ねてみたわけです。当時はただお寺について興味があったわけですが、その後、杉並区立郷土博物館で入手した『杉並の川と橋』(2009.3)という研究論文集の中に医王寺の旧境内に池の名残があるという記述があり、池の探訪者としても興味津津で行ってみました。

 門前に立つ杉並区教育委員会による説明板によれば、平安初期の承和元(834)年、弘法大師が東国を巡行した際、箱根山で彫った薬師如来像を海星和尚がこの地に建てた草庵に安置したのが始まり、という伝承があるそうです。その真偽はともかく、14世紀の板碑が見つかっていることから、かなりの古刹であることは確かなのでしょう。薬師堂が西に向いて立っていたので「西向茅野薬師」と呼ばれ、江戸時代には特に眼病に霊験があらたかということで、毎月12日に市が開かれるほど賑わったということです。薬師堂に面して、日照りでも涸れることのない湧水の池があり、この池については、眼病平癒を祈願して魚を放すと、たちまち治り、そのかわり魚は片目になったという伝説が残っています。同様の伝説は各地にあり、すでに紹介した池では世田谷区深沢の深沢神社の弁天池や江戸川区一之江の妙音寺などに残っています。

 さて、医王寺は明治初期に廃寺となりますが、本堂は高井戸小学校の前身である高泉学校の仮校舎として使用され、薬師堂だけは大正12年の関東大震災で被災するまで甲州街道に面して残っていて、薬師如来像が無事だったことから翌年、旧境内北方の現在地に寺が再興されたということです。「薬師の池」あるいは「お目玉の池」と呼ばれた湧水の池はかつて40坪ほどの面積があったそうですが、現在は4分の1ほどになって医王寺南方の住宅地の中にひっそりとあります。味気ない長方形の池で、今も湧水が健在なのかどうかは不明です。池のそばを水路跡が通っています。

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三井の森公園の池

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所在地:杉並区高井戸東1-31

 三井の森公園は井の頭線浜田山駅南西のかつては三井のグラウンド(三井上高井戸運動場)だった土地で、日本興業銀行グラウンド跡地である柏の宮公園の西隣に立地しています。元のグラウンドがどのような場所だったのか知らないのですが、武蔵野の緑が豊かだったようで、住民による緑地保全を求める運動がありましたが、結局、跡地の大部分は高級マンションが並ぶパークシティ浜田山として再開発されました。わずかに神田川左岸の崖線斜面とその下の低地部分が公園化され、崖線の樹林地および崖下のかつては釣り堀にも利用されたという池の一部、樹齢70年以上という桜の並木が残されました(ほかに道路をはさんで北西側の一帯も公園となっています)。

 この池は位置的に湧水池だったと思いますが、現在も湧水が健在なのかどうかは不明です。現在の池そのものは細長く、水量も少ないですが、その周囲の窪地全体も湿地のようになっており、訪問時は彼岸花がたくさん咲いていました。池を見下ろすようにウッドデッキが設けられています。

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(崖上の台地は宅地化された)

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成宗弁財天の弁天池(?)

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所在地:杉並区成田東5-29

 東京メトロ丸の内線・南阿佐ヶ谷駅の南西500メートルほどの地点、都立杉並高校の前に須賀神社と並んで鎮座しているのが成宗五色弁財天です。

 善福寺川沿いの低地に面した台地斜面に立地する当社は旧成宗村が開かれた頃、水神様の御加護を祈願して当地の湧水池のほとりに祠を建てたのが始まりといいます。御神体は相模国・江ノ島弁財天の洞窟で焚いた護摩の灰を煉り固めて作ったという伝承を持つ素焼きの板に浮き彫りにした曼荼羅像で、作られたのは鎌倉時代とも言われています。

 当社はその後もこの地域の水信仰の中心として雨乞いの神事が行われたり、富士講・榛名講・大山講などの人々が旅立ちに際して弁天池の湧水で禊を行って心身を清めたりしてきました。

 また、水不足に悩んでいた桃園川沿いの中野・高円寺・馬橋の三カ村が善福寺川から引水するため、天保11(1840)年に開削した新堀用水の中継池としても利用されました。

 これは現在の善福寺川・大谷戸橋(旧田端村)付近の広場堰から分水した水をこの弁天池に引き入れ、水位を上げて、北方を流れる桃園川に流すというものです。善福寺川と弁天池の間には台地があったので、ここは地下水路を掘って水を通し、弁天池から先にも善福寺川と桃園川の分水界の尾根(青梅街道が通っている)があるため、やはり地下4メートルほどのトンネルを掘って水を流すという江戸時代としては相当高度な土木工事によって開削されました。善福寺川~弁天池間の最初の水路は大雨やカワウソの掘った巣穴のせいで漏水が激しかったので、翌年、別ルートのトンネルを掘り直してもいます。

 個人的な話をすると、母の実家が昔、阿佐ヶ谷南1丁目(旧・馬橋)にあり、近くに滑り台などの設置された遊歩道があったのですが、これが新堀用水跡だったということを最近知りました。

 さて、この用水工事に際して、成宗弁天池は掘り下げられ、面積も300坪ほどに拡張され、その残土を利用して富士塚(成宗富士)が築かれました。

 と、ここまで書くと、まるで現在も立派な池があるみたいですが、池の周辺の土地はその後、住友銀行の所有となり、池も40坪ほどの面積になってしまいました。さらに土地が銀行から売却され、新たにマンションが建設された時点で池は完全に埋め立てられ、消滅してしまったようです。

 富士塚はそれより早く大正7年には崩されてしまったということです。

 ということで、現在の成宗弁財天はとても小さな敷地にあるのですが、その狭い境内に成宗富士の面影を伝える大日如来像・浅間神社・惣同行の碑・手水鉢などが残っています。

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(側面が焼け焦げた浅間神社・石橋の名残・大日如来。金網の下に池?)

 弁天社の社殿は近年、不審火で焼失してしまい、新たに再建されたもので、浅間神社の祠の側面も真っ黒に焼け焦げています。

 境内にはほかに中野・高円寺・馬橋の三ヵ村の用水路記念碑(下写真)やかつて水路にかかっていた石橋、三体の地蔵尊などの文化遺産もあり、意外に見どころは多いです。

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(用水路記念日)

 で、池はまったくないのか、というと、境内にまったく味気ないものではありますが、小さな水路と池が作られており、金魚が飼われています。

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(池には金網が掛けてあるので、持ち上げて撮影)

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杉並区立読書の森公園の池

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所在地:杉並区荻窪3-39-16

 2006年3月25日、杉並中央図書館の隣にオープンした「読書の森公園」はその名前の通り、図書館で借りた本を木陰のベンチやあずまやでのんびり読むことができる公園、という画期的なコンセプトに基づいて造られています。

 図書館の敷地から直接行ける園内には芝生の丘や広場があり、杉並区にゆかりのある作家や詩人のモニュメントが配されています。

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(石井桃子のモニュメント)

 また、花壇には「アンネのバラ」も咲いています。これは1975年に区立高井戸中学の生徒たちが『アンネの日記』の感想文集をアンネの父親オットー・フランク氏に贈った返礼としてオットー氏から贈られたバラを生徒や区民が大切に受け継ぎ、育ててきたものです。

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 また、第二次世界大戦中、日本との共闘によるインド独立をめざしたチャンドラ・ボースの墓が杉並区内の蓮光寺(日蓮宗)にあることから、図書館にボースやガンジーに関する資料が展示されており、インドの慈善団体から寄贈されたマハトマ・ガンジーの銅像が公園内に設置され、2009年5月24日に除幕式が行われました。

 さて、そんな読書の森公園に池があり、もともと杉並区内の田んぼや小川に生息していた荒川水系のクロメダカが放され、「メダカの学校」となっています。

 池畔にはあずまやがあるので、ここで読書を楽しむというのも一興でしょう。

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柏の宮公園の池

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(日本庭園の池)

所在地:杉並区浜田山2-5

 京王井の頭線・浜田山駅の南方にある柏の宮公園は南側を流れる神田川に面した高台とその斜面、台地下の低地からなる公園で、元は旧日本興業銀行の総合グラウンドでした。その跡地を杉並区が買収し、防災公園として整備したものです。

 公園化に際しては延べ380人を超える区民が参加して話し合いを重ね、杉並の原風景を後世に伝えるべく、武蔵野の雑木林の保存・創出に加え、草地や疎林の広場、さまざまな動植物が観察できる水生生物の池(ビオトープ)、茶室のある日本庭園などから成る区立最大の防災公園が完成しました。

 そもそも、「柏の宮」の地名は室町時代、太田道灌がこの地に鎌倉鶴岡八幡宮の別殿(現在の下高井戸八幡神社)を柏木左右衛門に建立させたことに由来します。

 江戸時代には下高井戸八幡は「柏木之宮」と呼ばれ、この地域の地名も「柏之宮」となったようです。

 大正期には高井戸村の実業家・横倉善兵衛氏がこの地を整備して数寄屋を建て、「柏ノ宮園」と名づけて、文人墨客を招き、歌会、観月会などを催し、昭和初期には絵ハガキになるほどの名所となったそうです。

 戦後はこの一帯に企業や官庁のグラウンドが数多く造られ、この地も旧日本興業銀行の「柏の宮総合グラウンド」として利用されていましたが、近年、その跡地を杉並区が公園化し、一般に開放されるとともに、歴史のある旧地名(小字名)が公園の名称として末長く伝えられることになったわけです。

 さて、園内には台地上にビオトープの池があり、水生植物や湿性植物が植えられ、メダカなどが放されています。池の上をイトトンボやシオカラトンボ、ギンヤンマなどさまざまなトンボが飛び交い、盛んに産卵していました。水中にはたくさんのヤゴが棲んでいることでしょう。

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(ビオトープ)

 ビオトープから台地を下ると、田んぼと溜池があります。かつては神田川沿いにこのような水田が広がっていたものと思われます。

 溜池にはハスなどが植えられ、池畔にはミソハギなどが咲いていました。

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(田んぼと溜池)

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(溜池)

 公園の南西側の樹林が日本庭園となっていて、ここにも池があります。かつてはこの崖下に湧水の池があったそうですが、現在の水源は井戸水の汲み上げと思われます。斜面上に湧き出た水が流れ下って、池に注いでいます。

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(茶室のある日本庭園)

 池を見降ろす位置に立つ茶室は「林丘亭」といい、寛永年間に若狭小浜藩主・酒井忠勝が新宿区矢来町にあった酒井家下屋敷の池畔に小堀遠州に命じて作らせたものだといいます。3代将軍・家光も訪れたそうです。

 後に下屋敷跡の一部が旧興銀寮となり、昭和34年に当時の頭取が敷地内にあった茶室を現在地に移築復元したということです。また、公園化に際しても杉並区が改修を加えています。

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貴船神社の「御手洗の小池」

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所在地:杉並区和泉3-22

 貴船神社は神田川左岸の台地斜面に立地する神社で、近くにある和泉熊野神社の境外末社です。

 京都の貴船神社から勧請したという祭神は山や谷、川にすむという龍神で、この神は雨水をつかさどり、雨乞い・止雨に霊力があるとされ、信仰されていたようです。

 境内には湧水による「御手洗の小池」と呼ばれる池があり、かつてはいかなる干ばつでも涸れることがなかったそうで、和泉の地名もこの豊かな湧水に由来すると考えられているようです。ところが、その湧水も周辺の都市化の進行により、昭和40年頃にはついに涸渇してしまいました。

 池は現在も存在しますが、僕が訪れた2009年7月の時点では水がほとんどありませんでした。小さな滝や飛び石がある風流な池のようなのですが…。

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天沼弁天池公園の池

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所在地:杉並区天沼3丁目

 杉並区の天沼から清水にかけての一帯はかつて湧水の多い土地で、その中に天沼弁天池という直径35メートルほどの円形の湧水池があり、中の島に弁財天が祀られていました。この池は桃園川の水源のひとつで、大正時代までは付近の農業用水として利用されていたそうです。戦後は「池畔亭」という料亭があったりもしましたが、周辺の都市化によって湧水は枯渇し、池は荒れてしまいました。1970年半ばに敷地は西武鉄道に売却され、社員研修施設とされ、この頃、池は埋め立てられ、敷地内の別の場所に新しく日本庭園風の池が造られたということです。
 この敷地を杉並区が公園化したものが天沼弁天池公園で、2007年4月7日にオープンしました。クスノキが多い園内には杉並区の郷土博物館分館と防災用の備蓄倉庫も設置されています。
 さて、池ですが、西武時代の池がほぼそのまま残されています。水源は井戸水の汲み上げで、小さな滝もあり、飛び石や石橋のある回遊式になっていますが、開園1ヵ月後に僕が訪れた時は足場が悪いとのことで園路は再整備中でした。池畔にはモミジや松、ツツジなどが植えられています。

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善福寺池(下池)

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所在地:杉並区善福寺2丁目

 善福寺池は上下ふたつの池に分かれていて、これはバス通りをはさんだ下流側の池です。上池とは水路で繋がっています。

 ボートが浮かび、賑やかな上池に比べると、下池は水生植物が生い茂り、野趣あふれる池で、面積もこちらの方がずっと小さいです。

 下池にも人工の水源がつくられ、汲み上げられた地下水が湧き出しています。

 そして、下池の末端から流れ出た水は善福寺川となって杉並区内を曲がりくねりながら流れていき、神田川に合流します。

 なお、善福寺池から数百メートル下流の原寺分橋の下手の川床に湧水が見られます(下写真)。

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善福寺池(上池)

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所在地:杉並区善福寺3丁目

 善福寺池との出会いは中学生の時。杉並区内を曲がりくねりながら流れ、神田川に合流する善福寺川の上流はどうなっているのかと、ずっと自転車で遡ってみて、この池に行き着いたのでした。いわば、僕の池めぐりの原点で、それ以来、何度となく訪れています。
 善福寺池はもともと井の頭池や三宝寺池とともに武蔵野台地の標高50メートル付近から地下水が湧出する天然の池で、バス通りをはさんで上池と下池からなり、上池にはボート乗り場があります。
 池の最奥部に“水源”があります(下写真)。ただし、都市化の進展で、湧水は枯渇し、現在は地下水をポンプで汲み上げています。この水源を「遅之井」といいますが、それは1189年に源頼朝の軍勢が奥州征伐に向かう途中でこの地に立ち寄った際、旱魃で喉の渇きに苦しむ兵士たちのために頼朝が弓で地面を掘ったものの、なかなか水が湧き出なかったところから名づけられたと伝えられているそうです。

 ちなみに池のすぐ南側に杉並浄水場があり、地下水を汲み上げて周辺に給水していますが、この水道水は都内でも有数のおいしい水だそうです。

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 2006年1月、善福寺池に幼鳥1羽を含む6羽のコハクチョウがシベリアから飛来して話題になりました。野生の白鳥が東京まで南下してくるのはとても珍しいことだそうです。

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蚕糸の森公園の池

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所在地:杉並区和田3丁目

 蚕糸の森公園は明治時代から日本の蚕糸技術研究の拠点であった旧農林省蚕糸試験場の跡地を利用した公園です。
 園内には循環水を利用した流れがあり、水遊びをする子どもたちの声が絶えません。そして、その流れはそのまま池に注いでいます。池そのものは人工的で、あまり風情はありませんが、コイやカモが泳ぎ回り、水上にせり出したあずまやもあります。

 公的な研究施設の跡地を利用した井草森公園、馬橋公園、蚕糸の森公園の池は循環水、水遊びができるせせらぎ、あずまや、という共通点があり、これが杉並区の池づくりの基本パターンのようです。

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