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2011年10月

東京都戦没者霊苑の池

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所在地:文京区春日1-14-4

 前記事で紹介した礫川公園の背後の台地上に東京都戦没者霊苑があります。戦前は陸軍工科学校のあった場所で、1931年の満州事変から1945年の敗戦までの16万人に及ぶ東京都の戦没者の霊を慰めるため、1960年に建設され、その後、1988年に現在のモダンなデザインに改築されました。

 池の中に立つ鎮魂碑の文字は当時の鈴木俊一都知事の揮毫、また碑文は文芸評論家の山本健吉氏によるものです(下写真)。

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(鎮魂碑の向こうは水のカーテンになっている)

 池や壁泉など清らかな水を多く用いているのは、空襲による炎の中で亡くなった方々の魂を鎮める意味があるのでしょう。

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 敷地内には、ほかにも金魚のいる池があり、そばに「民生委員・児童委員顕彰碑」が立ち、民生委員制度創設50周年にあたっての昭和天皇の「いそとせも へにけるものか このうへも さちうすき人を たすけよといのる」という御製が刻まれています。

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礫川公園の噴水池

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所在地:文京区春日1-15

 前記事で紹介した文京シビックセンター(区役所)の池はさほど面白いものではないのですが、それを補って余りあるのが千川通りをはさんだ向かい側にある文京区立礫川(れきせん)公園の噴水とカスケードです。

 礫川の礫とは小石のことで、つまり神田川の支流・小石川の別称です。現在の豊島区要町にある粟島神社の弁天池を水源とする谷端川の下流部が小石川で、千川とも呼ばれ、今の千川通りに沿う形で流れていました。現在は暗渠化され、下水道幹線になっています。

 礫川公園はその小石川右岸の台地斜面に造成された階段状の公園で、昔は陸軍の軍用地であったところです。

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 公園内には西洋風の噴水池、さらに奥にはブロンズ製の獅子の口から噴き出た水が落ちる階段状の滝(カスケード)があります。

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文京区役所の池

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所在地:文京区春日1-16-21

 東京23区の区役所の池や噴水をめぐるシリーズ、第11弾。23区でもとりわけ豪華な庁舎の文京区役所=文京シビックセンターです。といっても、池は写真の通り、味気ないものです。池に面してカフェがあり、テラス席は水上カフェ風になっています。

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千住・仲町氷川神社の弁天池

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所在地:足立区千住仲町48

 北千住駅の南南西にある仲町氷川神社は江戸初期の元和2(1616)年に当地に遷座された神社で、祭神は素戔鳴尊(スサノオノミコト)ですが、境内社として関屋天満宮や稲荷神社、三峰神社なども祀っています。もうひとつ祀られているのが「千寿七福神」の弁財天にも定められている弁天様で、鳥居には「江嶌神社」の扁額があるので、神奈川県の江ノ島神社から勧請したのでしょう。

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 錦鯉の泳ぐ池に囲まれた岩の祠の中に安置されているのは、元禄2(1689)年に造立された庚申塔です。庚申塔といえば主尊は青面金剛像というパターンが多いですが、ここでは右手に剣、左手に宝珠を持つ弁財天が彫られています。塔の上部に太陽と月、中ほどに雌雄の鶏、下部に三猿というのは庚申塔によく見られますが、主尊に弁財天を刻んだものは東京では唯一の例と言われ、足立区の登録有形文化財にもなっています。

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(弁天像供養庚申塔)

 とにかく、弁財天が祀られているので、池があるかも、と予想して訪れたのですが、大当たりでした。

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墨田区役所のカスケード

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所在地:墨田区吾妻橋1-23-20

 東京23区の区役所の池や噴水をめぐるシリーズ。第10弾は墨田区役所です。浅草から見ると、隅田川の対岸に東京スカイツリーやアサヒビールの例のビルとともにひとつの景観を形成している高層建築です。

 その前に隅田川の堤防を階段状に流れ落ちるカスケードがあり、ハトの水飲み場になっています(?)。

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 庁舎前には現在の墨田区両国生まれの勝海舟の銅像が立っています。

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河原水門

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(旧江戸川右岸から見た河原水門。右は河原排水機場の排水ゲート)

所在地:(江戸川区・市川市境界未確定地域)河原番外地

 江戸川水閘門、行徳可動堰を紹介したついでに取り上げるのが河原水門です。江戸川水門の下流400メートルほどの旧江戸川左岸にある水門で、水門内は船溜まりになっています。

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 水門そのものはどこにでもあるようなローラーゲートですが、興味深いのはその所在地です。旧江戸川の左岸側なので千葉県市川市かと思いきや、ここは東京都と千葉県の間で境界が未確定の場所なのです。なぜこんなことになったのか。そのヒントはこの船溜まりにありそうです。

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(船溜まり側から見た河原水門)

 1919年に江戸川放水路(現・江戸川)が開削された時、もともと東京と千葉の境界だった旧江戸川の流路が変更になり、旧流路のうち埋め残された水面が現在、船溜まりとして利用されているようなのです。従って、この船溜まりから旧流路を推定して、その流路の半分と右岸側は東京都の領域であると都側が主張しているのでしょう。そのため江戸川と旧江戸川にはさまれた三角地帯は河原番外地などと呼ばれ、一般の住宅はなく、緑地やグラウンドとなり、わずかに国土交通省の施設があるだけのようです。

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(1:江戸川閘門 2:江戸川水門 3:河原水門  4:行徳可動堰)

 上の写真で 新旧江戸川に挟まれた地域のうち、行徳可動堰と河原水門より上流側の区域が境界未確定地域のようです。

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(河原番外地。右が江戸川、左が旧江戸川。向こうは京葉道路江戸川大橋)   

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行徳可動堰

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所在地:千葉県市川市行徳地先

 前記事で江戸川水閘門を取り上げたので、すぐそばにある行徳可動堰もあわせて紹介します。

 江戸川の水害対策として江戸川の水を千葉県市川市から東京湾までまっすぐに流す放水路が開削されたのは大正8(1919)年のことですが、この江戸川放水路(その後、こちらが江戸川本流となる)に設置されたのが行徳堰でした。当初は固定堰でしたが、洪水時の放水量を増やすため、昭和25(1950)年に着工、昭和32(1957)年に完成したのが行徳可動堰です。その後、この一帯の地盤沈下が進んだことから、昭和50(1975)年から52(1977)年にかけてゲートを50センチかさ上げしています。

 河口から3.2キロの地点に位置し、純径間30メートル、扉高4.5メートル(ドラム径3.5メートル)の鋼製ローリングゲートを3門備えています。ローリングゲートとは円筒状のゲートを回転させながら上下させる形式の水門で、僕はここで初めて見ました。

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 通常は閉鎖されており、旧江戸川の江戸川水閘門と連携して海水の遡上を防止するほか、洪水時には上流の水位が一定以上になった場合にゲートを開放し、洪水を安全に流下させます。ゲート閉鎖時でも上流側が増水すれば堰を越えて水が流れるようになっています。また、平常時には通水扉を通じて堰下流の必要な用水を確保しているということです。

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 行徳可動堰は通常は閉鎖され、江戸川の水をせき止めているため、堰の上流側は淡水域、下流側は海水の混じった汽水域となっていて、堰周辺のヨシ原は稀少なヒヌマイトトンボの生息地だったり、堰のすぐ下手に見られる干潟はトビハゼが生息する北限とも言われているそうです。こうした生態系が形成されているわけですが、洪水時にゲートを開放し、一気に大量の淡水を放流することで、下流の汽水域の自然環境に大きな影響を及ぼしてしまうという問題もあるようです。また、可動堰も海水による腐食などで老朽化が進んだため、新たな堰を建設するという計画もあるそうです。

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(堰下流側の干潟。上が満潮時、下が干潮時)

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  なお、行徳可動堰は船の通航はできません。

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江戸川水閘門

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(江戸川水閘門とポニーランド)

所在地:江戸川区東篠崎町地先

 東京都と千葉県の境を流れる江戸川は水害対策として大正8(1919)年に千葉県市川市で東京湾に注ぐ放水路(約3.5キロ)が開削され、その後、こちらが江戸川本流となり、かつての本流の下流部分(約9.5キロ)は旧江戸川と呼ばれるようになりました。その分流点の少し下流の旧江戸川(河口から約9.3キロ地点)に設置されたのが江戸川水閘門です。水門と閘門を併設した施設で、昭和11(1936)年から建設が始まり、戦時中の昭和18(1943)年3月に完成したので、都内でも古い水門と言えるでしょう。

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(江戸川と旧江戸川の分流点。手前が旧江戸川)

 この水閘門の当初の役割としては①洪水時に毎秒1000立方メートルを旧江戸川に分派させること、②異常渇水時に塩分遡上を防止すること、③堰上流の水位を確保して都市用水を安定供給すること、④平常時における下流の流量を確保すること、⑤舟運を確保すること、が想定されましたが、このうち①については現在、洪水時でも旧江戸川への分派は基本的に行っていないようです。大雑把に言えば、水門の開閉を通じて、上流側、下流側双方の流量や水位をその時々の状況に応じて調節することと、上流で農工業用水・水道用水を取水していることから海水の遡上を阻止することが役目ということでしょう。

 さて、まずは江戸川水門ですが、これは純径間10メートル、高さ5メートルのローラーゲートが5門あります。このうち3門は1枚扉で、開放時にはゲートを上昇させることでゲートの下をくぐって水が流れる通常の方式ですが、残り2門は2枚扉になっていて、越流放流もできるようになっています。

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 この水門の閉鎖時にも船が通航できるようにと、併せて設置されたのが江戸川閘門です。これまでに紹介した扇橋閘門や荒川ロックゲートと同様の設備で、長さ100メートル、幅16メートルの閘室の前後に幅13.4メートル(純径間11メートル)、高さ6.5メートルのゲートが設置され、水位の異なる区間を船が往来できるようになっています。

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(江戸川閘門上流側ゲート)

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(下流側ゲートが開いて、船が進入してきた)

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(ゲートが閉じて水位調節が始まる)

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(水位の高い上流側から注水。閘室内の水位上昇)

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(閘室内と上流側の水位が一致したら上流側ゲートが開く)

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(船が出てきた)

 なお、水門開放時でも江戸川水門は船が通ることはできません。

    

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