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九品仏・浄真寺の池

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所在地:世田谷区奥沢7丁目

 前記事(駒留八幡神社の弁天池)で紹介した戦国時代の世田谷城主・吉良頼康の愛妾・常盤姫の悲話との関連で、彼女の実家であった奥沢城の跡に江戸初期に創建された浄真寺の池を取り上げます。

 東急大井町線・九品仏(くほんぶつ)駅に近い世田谷の名刹・浄真寺。正式には九品山唯在念仏院浄真寺という浄土宗の寺院で、一般には「九品仏」の名で親しまれています。僕も小学3年生の時の社会科見学「世田谷区内めぐり」でこのお寺の境内で弁当を食べたという記憶が微かにあります。

 九品仏の名前は3つのお堂(三仏堂)に3体ずつ、合わせて9体の阿弥陀如来像が安置されていることに由来します。阿弥陀如来は西方極楽浄土におわす仏様で、9体の仏像は救済の対象である人々を生前の所業や信心深さに応じて、上品・中品・下品の三品に、上生・中生・下生の三生を組み合わせた9種類(九品)に分け、それぞれに救いの手を差しのべて往生に導くことを意味します。それは9体それぞれが異なる印相(手指の形)を結んでいることで表現されています。

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(三仏堂。手前から下品堂、上品堂、中品堂)

 この9体の仏像は寺を開いた珂碩(かせき)上人(1617-94)が18歳で発願し、51歳の時に完成させたものです。ただし、実際の彫刻は専門の仏師によるものとの説もありますが。この三仏堂と向き合うように本堂が東に位置し、堂内には釈迦如来像が安置されています。本堂が此岸であり、西方の三仏堂が極楽浄土である彼岸を意味しているわけです。有名な来迎会(お面かぶり)の行事は本堂(此岸)と三仏堂(彼岸)の間に橋を架け、阿弥陀仏と二十五菩薩に扮した信者が黄金の面をかぶって彼岸から来迎、珂碩上人像を伴って本堂から三仏堂へ往生、最後に面を取って本堂に戻ってくるというもので、3年ごとの8月16日に行われます。

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(手前が本堂、向こうに三仏堂が立ち並ぶ)

 さて、この浄真寺の土地にはそれ以前は世田谷城主・吉良氏の家臣大平氏の居館・奥沢城がありました。吉良氏は戦国期の関東の盟主であった小田原・北条氏と姻戚関係を結んでいましたが、天下統一をめざす豊臣秀吉軍によって小田原城が陥落し、北条氏が滅びると、世田谷城も廃城となり、同時に奥沢城も廃されました。そして、江戸時代になって珂碩上人が城跡を寺地として幕府から賜り、1678年に浄真寺を開いたわけです。現在は奥沢城の貴重な遺構としては土塁が残るのみですが、奥沢城時代の常盤姫の悲話にまつわる鷺草伝説にちなんで、境内に鷺草園が作られ、かつて奥沢の湿地に自生していた鷺草が栽培されています。鷺草は7月ごろ白鷺に似た白い花を咲かせるラン科の植物で、世田谷の「区の花」にも指定されています。僕は花の時期に訪れたことがないのですが、そばに清らかな池が作られ、水音を立てています。

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 また、この池とは別に本堂の北側にもひっそりと池がありますが、立ち入ることができず、わずかに覗きみることができるだけです(下写真)。

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