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2010年11月

旧小溜井排水場

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(綾瀬川に設置された排水樋門)

所在地:足立区神明1丁目

 東京都足立区神明・六木地区と埼玉県八潮市浮塚・垳(がけ)地区の間を流れ、綾瀬川と中川を繋ぐ2.2キロの河川が垳(がけ)川です。この川は江戸初期まで綾瀬川の本流でしたが、寛永年間(1624-43)に内匠新田(今の内匠橋付近)からまっすぐ南へ下り、中川に合流する新川が開削され、こちらが綾瀬川となり、旧流路は綾瀬川と切り離されてしまいました。さらに下流側の中川との合流点も享保14(1729)年に遮断され、垳川は河川としての機能を失います。綾瀬川とも中川とも断ち切られた垳川はその中央部で葛西用水が交差しており、この用水の水を貯める溜め池としての役目を果たすようになり、葛西用水より上流側は小溜井と呼ばれるようになりました。

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(垳川)

 この垳川(小溜井)が大雨で増水した時に水を綾瀬川に排出するために設置された施設が小溜井排水場ですが、すでに平成7年に用途廃止となっています。ただ、水質悪化の著しい垳川を浄化するための試みとして、現在は綾瀬川の水を導入する試験通水が行われています。

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(小溜井排水場)

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六木水の森公園の池

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所在地:足立区六木3-49

 足立区の北東部、埼玉県八潮市との境を流れる垳(がけ)川は花畑運河の北に位置し、やはり綾瀬川と中川を繋ぐ水路で、綾瀬川の旧流路でした。お世辞にもきれいな川とは言えませんが、川沿いに緑豊かな遊歩道があります。この垳川と中川との合流点近くにあるのが六木水の森公園で、その名の通り、古代ローマの水道橋を思わせるレンガアーチから落ちる水によって回る巨大水車や噴水塔、せせらぎ、池などがある公園です。ただし、訪問時は冬だったので水車は止まっていました。

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六ツ木水門

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所在地:足立区六木3-8-11

 前記事で紹介した花畑水門とともに花畑運河を守るもうひとつの水門で、運河東端の中川との接続部に設置されたのが六ツ木水門です。幅員7.5メートルのローラーゲート式で、こちらは常時開放され、一応中川から船の進入が可能です。ただし、花畑運河にかかる橋は水面からの高さが低いものが多く、干潮時でないと通航困難なようです。そのため、水門の両側に電光式の水位表示板があります。探訪時には運河側は「A.P.+1.49m」だったのに中川側は「A.P.+1.54m」となっていました。水門が開いているので両側の水位は当然同じはずなのですが、この5センチの差は何なのでしょう。

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 中川の対岸には新大場川水門があります。

 また、花畑水門は東京都が管理していますが(江東治水事務所)、この六ツ木水門は国土交通省が管理する水門です(関東地方整備局江戸川河川事務所)。

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(中川の対岸より)

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花畑水門

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所在地:足立区神明1-14-1

 花畑水門は中川と綾瀬川を結ぶ1.4キロの花畑運河(花畑川)の綾瀬川との合流点に設置された水門です。幅員7.5メートルのローラーゲート式で、昭和42(1967)年に完成しました。

 花畑運河は中川から都心方面への舟運の短絡水路として昭和6(1931)年に完成した運河で、北関東方面から東京への農産物の輸送、および東京からの下肥(人糞尿)の輸送のルートとして利用されました。前年に完成した荒川放水路(現・荒川)によって中川下流部が分断され、中川から都心部へのスムーズな通航が困難になったことから、新たに運河を開き、中川~花畑運河~綾瀬川~綾瀬水門~荒川放水路~隅田水門~旧綾瀬川~隅田川という新ルートが完成し、旧来の中川ルートより16キロも短縮されたということです。

 言うまでもなく、現在では舟運はすっかり廃れ、運河も事実上、役割を終えて、通る船もめったにないものと思います。しかも、水質の悪化した綾瀬川の水が花畑運河や中川に流入するのを防ぐため、花畑運河は常時閉鎖されているようです。ただ、写真の通り、訪問時は水門は開放されていました。綾瀬川の浄化用に水門を開けて中川の水を導水することもあるようなので、これがちょうどそのタイミングだったのでしょうか。

 水門の上を首都高速6号・三郷線が通っています。また、水門と並んで架かる橋は月見橋という風情のある名前で、花畑運河にはほかにも雪見橋、花見橋などがかかっています。

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(花畑運河から見た花畑水門)

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木場公園の池

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(南地区の噴水池)

所在地:江東区平野4丁目・木場4.5丁目ほか

 江東区木場はその名の通り、古くから貯木場や材木業者が多く集まる地域でしたが、埋め立ての進展により、昭和40年代以降、すべての機能が新木場地区に移転し、その跡地が江東区の防災拠点のひとつに定められ、公園整備が始まり、平成4年に都立木場公園として開園しました。総面積は24.2ヘクタールにも及ぶ緑の豊かな公園で、真ん中を流れる仙台堀川によって南北の地区に分かれています。

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(水のない徒渉池)

 北地区には「徒渉池」と呼ばれる池がありますが、これはいわゆるジャブジャブ池で、夏季以外は水がありません。まぁ、大勢の子どもたちが水遊びをしている時期に池の撮影などしていると怪しい人に思われかねないので、池探訪者としては季節はずれの方が心おきなく撮影はできます。でも、せっかく訪ねても水がないとガッカリではありますが…。というか、ジャブジャブ池は基本的には探訪の対象には入っていないのですが、一応写真を撮ってしまったので、とりあえず載せておきます。

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(公園中央を東西に流れる仙台堀川。都心方面)

 さて、仙台堀川と葛西橋通りをまたぐ橋を渡って南地区に行くと、噴水があり、その西方には「イベント池」というのがあります。一見プールみたいですが、フェンスで囲まれ、立ち入ることはできません。水深は1~1.5メートルほどあるそうで、「立ち入り・遊泳は禁止」と書いてあります。この池では毎年10月中旬の江東区民祭りなどで木場伝統の「角乗り」が行われるそうです。訪問時には水の上に浮かんだ材木の上でカルガモが休んでいました。

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(イベント池)

 また、南地区には都市緑化植物園があり、この中にも上から見ると花の形をした噴水池と、それから湿性植物見本園に池や湿地、小川がつくられ、さまざまな水生植物・湿性植物が植えられています。

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(都市緑化植物園の花の形をした噴水)

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(都市緑化植物園・湿性植物見本園の池)   

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戸山公園(箱根山地区)の池

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所在地:新宿区戸山2・3丁目

 都立戸山公園は明治通りを挟んで大久保地区と箱根山地区に分かれる広大な公園で、このうち東側の箱根山地区は今の新宿・歌舞伎町にあった湧水などを水源とする蟹川が台地に深く刻み込んだ谷に沿った起伏に富んだ緑地です。古くは鎌倉幕府の重臣・和田義盛の領地で、江戸時代には尾張徳川家の下屋敷が置かれ、「戸山荘」と呼ばれました。17世紀末の元禄年間に完成した回遊式築山泉水庭園には大泉水を中心に25の景勝地がつくられ、なかでも東海道五十三次の小田原宿を模した町並みは見事なものだったそうです。一時荒廃しますが、18世紀末の寛政年間に11代将軍・徳川家斉の来遊を機に再興され、「すべて天下の園地はまさにこの荘を以て第一とすべし」と賞賛されたということです。その後、幕末には再び災害により荒廃し、天下第一の名園は失われてしまいましたが、「玉円峰」と名づけられた築山だけは明治以降も残り、「箱根山」と呼ばれ、その標高44.6メートルは東京山手線内の最高地点として知られています。ただし、山腹に植えられた桜などの木々が葉を茂らせ、山頂からの見晴らしはイマイチです。なお、戸山荘は明治以降、国有地となって陸軍戸山学校が置かれ、終戦まで軍の施設が並んでいましたが、戦後、すべて廃止され、跡地には住宅団地(戸山ハイツ)が建設され、残りの土地の大部分は公園化され、戸山公園として現在に至っています。

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(箱根山を中腹から見上げる)

 さて、この戸山公園箱根山地区には戸山荘時代の大泉水は現存しませんが、北部に人工の滝やせせらぎ、池が連なり、失われた川・蟹川の流路に沿って北東の早稲田方面に向かって流れていきます。池の北側は蟹川の崖線が続き、湧水があっても不思議ではない感じで、実際に崖下から池に通じる水路も作られていますが、探訪時には水は流れていませんでした。大雨の後などには湧水が見られたりするのでしょうか。また、「じゃぶじゃぶ池」はもちろん、滝やせせらぎも水が流れるのは春から秋にかけての季節限定のようです。

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(人工の滝)

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(滝から出た水は石組みの間を下り、鯉のいる池にそそぐ)

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(子どもの水遊び用のじゃぶじゃぶ池)

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(最下流部の池)    

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