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2010年10月

住吉水門

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所在地:中央区佃1-1

 住吉水門は佃煮発祥の地として知られる中央区佃にある佃川支川と隅田川の接続部に昭和40(1965)年に設置された幅員4メートルのこじんまりとしたローラーゲート式水門です。

 そもそも佃は徳川家康が江戸入府の際に漁業の先進地だった摂津(いまの大阪)の佃村の漁民を引き連れ、隅田川河口の干潟を与えて埋め立てさせ、居住地としたのが始まりで、これが佃島の地名の由来となっています。この時、漁民たちが故郷の神々の分霊を祀った住吉神社(その後、徳川家康の神霊も祀る)が川べりに鎮座し、水門の名前にもなっているわけです。

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(住吉神社) 

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(水門前から見た佃川支川)

 佃川支川は佃島とその後に埋め立てられた月島との間を流れていた運河・佃川から北に分かれ西に折れ、隅田川に通じる逆L字形の水路ですが、佃川そのものは昭和39年完成の佃大橋架橋の際に埋め立てられ、今は支川だけが隅田川から入り込んだ入り堀として残っています。現在の佃一帯は超高層マンションが林立する一方で、昔の漁村の風情も残り、散策が楽しめる町です。

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(堀の最奥部より)

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月島川水門

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所在地:中央区月島3-25-11

 隅田川河口部に明治時代に造成された埋立地・月島と勝どきの間を流れる長さ500メートルほどの運河が月島川で、隅田川と朝潮運河を結んでいます。その月島川と隅田川の接続部に昭和39(1964)年に設置されたのが月島川水門で、幅員11メートルのローラーゲート式です。佃島・月島・勝どき周辺に設置された水門のうち、朝潮・佃・浜前水門は東京都港湾局の管理する水門ですが、月島川水門(と住吉水門)は建設局の江東治水事務所が管理しています。

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(月島川)

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(隅田川の水上バスより) 

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浜前水門

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所在地:中央区勝どき3-14

 勝どき3・4丁目と5・6丁目の間を流れ、隅田川と朝潮運河を結ぶのが新月島川です。明治時代に造成された月島二号地(今の勝どき1~4丁目)の沖に大正2(1913)年に埋立地・月島三号地(今の勝どき5・6丁目)が造成され、二つの埋立地の間にこの運河が誕生しました。この500メートルほどの運河と隅田川との接続部に昭和39(1964)年に設置された防潮水門が浜前(はまさき)水門で、有効幅員8.4メートル×1門のローラーゲート式水門です。上空制限高はA.P.+4.4メートル。普通、ローラーゲート式水門の上部には操作室があるものですが、この水門にはありません。

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放生寺の放生池

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所在地:新宿区西早稲田2-1-14

 早稲田大学に近い光松山放生寺は隣接する穴八幡宮の別当寺として寛永18(1641)年に創建された真言宗寺院です。神田川の支流・蟹川の谷に面した小高い丘の上に立地していますが、創建時にここで横穴が見つかり、中から阿弥陀如来像が発見されたことから八幡宮が穴八幡と呼ばれるようになったそうです。放生寺(放生会寺)の寺号は3代将軍・徳川家光から贈られ、当時から放生会(ほうじょうえ)が行われてきました。これは我々の命が魚や鳥・獣など他の多くの生命を食することによって支えられていることから、これらの生き物に感謝し、その霊を供養する宗教儀式で、捕えた魚を池に放す形で行われてきました。放生池は元は穴八幡の境内にあったそうですが、1920年代に埋め立てられ、現在は放生池の本堂脇にあります。池そのものは味気ないものですが、金魚が泳ぎ、ほとりに放生供養碑が立ち、馬頭観音が祀られています。今も毎年10月の体育の日に放生会が行われ、同日には穴八幡宮の流鏑馬が近くの戸山公園で催されています。

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佃水門

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所在地:中央区佃3-12

 中央区の佃・月島・勝どきと晴海の間を流れる朝潮運河が隅田川(派川)~春海運河と接続する地点に昭和38(1963)年に設置されたのが佃水門です。下流側の朝潮水門とともに朝潮運河とその周辺を高潮や津波の被害から守っています。こちらはローラーゲート式で、有効幅員11.4メートル×2連、上空制限高A.P.+6.6メートルで、上部には「高潮から都民の生命・財産を守ります」のスローガンが書かれています。最近、塗り直され、色が変わったようです。

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(2010年1月の佃水門)

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(2010年9月の佃水門)

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(佃水門付近から見た朝潮運河の夕景)

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朝潮水門

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所在地:中央区晴海5-1

 中央区の埋立地・勝どきと晴海の間の運河が朝潮運河で、ここに昭和39(1964)年に設置されたのが朝潮水門です。ほかの水門に多く見られるローラーゲート式ではなく、まさにドアのように扉が閉まって水路を閉鎖するスイングゲート式で、この形式は東京ではここと築地川水門ぐらいでしょう。有効幅員11.4メートル×2連。当然ながら上空の高さ制限はありません。

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 この地域では高潮や津波の被害から街を守るため、水門のほか、埠頭の岸壁から上がった水の街への流入を阻止する防水ゲートが地上にも設置され、いざという時に道路を閉鎖できるようになっています。

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(朝潮運河の夕景)

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早稲田大学・大隈庭園の池

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(大隈講堂) 

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所在地:新宿区戸塚町1丁目

 早稲田大学の大隈庭園は大学創設者・大隈重信の邸宅にあった庭園を大隈の死後、大学に寄贈したもので、学生達の憩いの場ともなっている広い芝生と伝統的な日本庭園を合わせもつ和洋折衷の庭です。江戸時代には彦根藩井伊家や水戸徳川家の流れを引く高松藩松平家の下屋敷だった場所で、明治になって大隈の所有となり、庭園も和様折衷式に改造されたということです。

 川のように細く連なる池は日本庭園にあり、かつては神田川の支流で、新宿・歌舞伎町付近の湧水などを水源とする蟹川(または金川)から水を引き入れていたようです。水中には睡蓮が植えられ、鯉が泳いでいます。

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 庭園は昭和20年5月の空襲で廃墟と化しましたが、その後、多くの人々の尽力により、ほぼ昔の姿を取り戻し、学生達だけでなく一般にも公開されています。ただし、開園は4月~12月の大学授業実施日のうち月・火・木・金・土曜日の11時~16時です。

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平河梅林坂の池

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所在地:千代田区平河町2丁目

 平河町の都市センターと全国都市会館の間に平河梅林坂と名づけられた散策路があります。その名の通り、梅の木が植えられていますが、ほかにも桜、モミジ、ハナミズキなどさまざまな樹木と草花が植えられ、四季折々に楽しめるようになっています。訪問時はヤブランが地味に咲いているぐらいでしたが…。そして、植え込みの中に人工の水源があり、ここから石組の間をせせらぎが流れ下り、坂下の池に注いでいます。

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 そもそも平河町という町名には次のような由来があります。江戸城を築いた太田道灌が菅原道真の霊夢を見たことから城内に天満宮を勧請し、梅林を造り、本丸から梅林を通って平河門に下る坂は梅林坂と呼ばれました。徳川時代になって神社は江戸城の外に移され、これが平河天満宮と呼ばれるようになり、その一帯が平河町となったわけです。平河梅林坂も現在の天満宮と少し離れてはいますが、そのネーミングもこうした歴史と関係があるのでしょう。

 坂下には「東の風」(寺田栄、1999年)という石のモニュメントがあります(下写真)。

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ホテルニューオータニの池

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所在地:千代田区紀尾井町4-1

 ホテルニューオータニの敷地は古くは加藤清正の下屋敷だった土地で、のちに井伊家の中屋敷となりました。現在の町名・紀尾井町はここに紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の屋敷があったことに因むものです。明治以降、伏見宮邸となり、戦後、外国人の手に渡りそうになった時、ニューオータニ創業者の故・大谷米太郎氏が買い取り、ホテルを建て、東京を代表する高級ホテルとして現在に至っています。

 敷地内の日本庭園は加藤清正の屋敷だった頃から400年以上の歴史を持ち、戦後、荒れていた時期もあるようですが、大谷氏の指揮のもと見事に改修整備された池泉回遊式庭園となっています。一歩、庭園に踏み入れると、予想外に起伏のある地形で、高さの異なるいくつかの池や高低差を生かした大小の滝(大滝は高さ6メートル)、渓流が豊かな緑の中に美しい水の景色を生み出し、水は最後にホテル南側の旧江戸城外濠(弁慶濠)に落ちています。昔からある石灯籠など見どころも多く、見事な錦鯉や朱塗りの橋なども印象的です。

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(朱塗りの橋がかかり、鯉が泳ぐ清泉池)

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 庶民にはなかなか敷居の高い感じのホテルですが、ニューオータニ美術館に行った際についでに見てきました。

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(旧江戸城外濠の弁慶濠)

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医王寺の薬師池(お目玉の池)

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所在地:杉並区上高井戸1-27

 世田谷の古道について調べていて、その存在を知ったのが杉並区上高井戸の明星山遍照院医王寺です。医王寺の北、杉並区と世田谷区の境界を通る道がかつて府中と江戸方面を結ぶ古代からの道なのではないか、という関心から、この付近に古くからあるらしい医王寺を訪ねてみたわけです。当時はただお寺について興味があったわけですが、その後、杉並区立郷土博物館で入手した『杉並の川と橋』(2009.3)という研究論文集の中に医王寺の旧境内に池の名残があるという記述があり、池の探訪者としても興味津津で行ってみました。

 門前に立つ杉並区教育委員会による説明板によれば、平安初期の承和元(834)年、弘法大師が東国を巡行した際、箱根山で彫った薬師如来像を海星和尚がこの地に建てた草庵に安置したのが始まり、という伝承があるそうです。その真偽はともかく、14世紀の板碑が見つかっていることから、かなりの古刹であることは確かなのでしょう。薬師堂が西に向いて立っていたので「西向茅野薬師」と呼ばれ、江戸時代には特に眼病に霊験があらたかということで、毎月12日に市が開かれるほど賑わったということです。薬師堂に面して、日照りでも涸れることのない湧水の池があり、この池については、眼病平癒を祈願して魚を放すと、たちまち治り、そのかわり魚は片目になったという伝説が残っています。同様の伝説は各地にあり、すでに紹介した池では世田谷区深沢の深沢神社の弁天池や江戸川区一之江の妙音寺などに残っています。

 さて、医王寺は明治初期に廃寺となりますが、本堂は高井戸小学校の前身である高泉学校の仮校舎として使用され、薬師堂だけは大正12年の関東大震災で被災するまで甲州街道に面して残っていて、薬師如来像が無事だったことから翌年、旧境内北方の現在地に寺が再興されたということです。「薬師の池」あるいは「お目玉の池」と呼ばれた湧水の池はかつて40坪ほどの面積があったそうですが、現在は4分の1ほどになって医王寺南方の住宅地の中にひっそりとあります。味気ない長方形の池で、今も湧水が健在なのかどうかは不明です。池のそばを水路跡が通っています。

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新砂水門

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所在地:江東区新砂3-8地先

 江東区の数ある運河のうち、荒川河口部に接続するのが砂町運河で、その出入口に昭和51(1976)年に設置されたのが幅員23.4メートルの新砂水門です。この水門はすでに紹介した東雲水門でも見られるセクターゲート式です。上から見ると扇形の扉体が左右に設置され、開放時には格納されていますが、いざという時は扇の要の位置を軸として回転して左右の扉が合わさり、水路を閉鎖します。言葉の説明だけだと、わかりにくいですね。東京都港湾局のこちらのページを見ていただくと、新砂水門のしくみがよくわかります。

 水門のしくみ

 この形式は東京の水門では東雲と新砂の2か所だけです。砂町運河には夢の島マリーナがあり、新砂水門を通ってヨットのように背の高い船も出入りします。そのため、水門通過時に上空の高さ制限のないセクターゲート式が採用されているわけです。また、ここには水門閉鎖時に運河内の水を強制的にポンプで排水する砂町排水機場も隣接しています。

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あけぼの水門

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所在地:江東区辰巳2丁目

 江東区の埋立地である辰巳と夢の島の間を流れる運河が曙運河で、北方で砂町運河や東雲東運河、汐見運河、汐浜運河などに接続しています。これらの運河網に東京湾からの高潮や津波が侵入するのを阻止するために昭和40(1965)年に設置されたのが「あけぼの水門」です。幅員11.4メートル×2連のローラーゲート式水門で、濃いブルーに塗装された門扉にはカラフルな熱帯魚のデザインが施されています。曙運河の水上を走るJR京葉線の橋梁がカーブしながら水門のそばを通っています。

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(運河に進入する船。上空制限高はA.P.+6.5メートル)

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辰巳水門

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(片方は工事中)

所在地:江東区辰巳1丁目

 江東区の埋立地である東雲と辰巳の間にあるのが辰巳運河で、ここに昭和37(1962)年に設置されたのが辰巳水門です。幅員11.4メートル×2連のローラーゲートで、運河沿いの街を高潮や津波の被害から守るのが役目で、水門上部に「高潮から都民の生命・財産を守ります」と書かれています。

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(上空制限高はA.P.+6.9メートル)

 大気圧の低下により海面が上昇する高潮が発生するのは台風の襲来が原因となる場合が多いですが、もし台風による高潮の侵入を防ぐために水門を閉鎖すると、内部河川が大雨で増水しても水の逃げ場がないことになり、洪水の危険が高まります。そこで水門閉鎖時に内部の水をポンプで強制的に排水する施設が水門とセットで必要になるわけで、辰巳水門には辰巳排水機場(昭和39年設置)が隣接しています。

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(左側が辰巳排水機場)

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下丸子公園の池

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所在地:大田区下丸子4丁目

 多摩川に近い大田区立下丸子公園には小高い丘の上から流れ出るせせらぎがあって小さな池に注いでいます。この池には大田区内にもいくつかあった多摩川の渡船場のうち最後まで残った矢口の渡し(昭和24年廃止)をイメージして渡し場と舟があります。

 せせらぎは循環水で、流れの運転期間は5月から10月まで。訪問時には水は止まっていて、池も空っぽでした。

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荒澤不動の湧水池

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所在地:北区中十条3丁目

 JR京浜東北線の電車は東京都内においては多くの区間で武蔵野台地の崖線に沿って走っていますが、このうち東十条駅付近では崖下に多くの湧水を見ることができます。駅の北口を出て、崖下を線路に沿って続く道を北へ少し行くと荒澤不動尊が祀られており、そこに小さな湧き水の池があります。金魚や鯉が泳ぐ澄んだ水は絶えずチョロチョロと流れ出し、側溝に注いでいます。

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 そもそもこの不動尊は昔、このあたりで疫病が流行り、人々が苦しんでいた時、出羽国・羽黒山の荒澤不動の霊験があらたかだということで、この地に勧請したそうで、当初は現在地より少し北側の今は環状7号線が線路をまたぐ平和橋付近に奉安されていたそうです。そこにも池があり、水垢離に利用されていたということですが、線路敷設のため、今の場所に移されました。

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 このあたりでは至るところで崖下から水がしみ出しているのを見ることができ、東十条駅南口に近い地蔵坂下にもコンコンと水が湧いているほか(下写真)、民家の敷地内にも湧水を利用しているらしい池がいくつかあり、いかにも水源地らしい「井頭」という地名も王子~東十条間の踏切などの名称に見られます。

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(地蔵坂下の湧水。ペットボトルに汲んでいる人も・・・)

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数寄屋橋公園の「めぐりあいの泉」

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所在地:中央区銀座5-1

 銀座の数寄屋橋交差点の脇にある小さな公園が数寄屋橋公園です。そもそも数寄屋橋は江戸初期に江戸城外濠に架けられた橋ですが、一般には全国の女性を夢中にさせたドラマ『君の名は』の舞台として有名です。当時の橋は昭和4年に架け替えられた石造りのアーチ橋で、この付近の外濠の埋め立てに伴い昭和30年代初頭に取り壊され、現存しません。外濠跡地には高速道路が建設されています。

 数寄屋橋公園では岡本太郎作の「若い時計台」という時計塔がひときわ目を引きますが、橋に用いられていた石材を利用した数寄屋橋跡の碑もあり、『君の名は』の作者・菊田一夫による「数寄屋橋此処にありき」の文字が刻まれています。そして、公園の奥の底の青い池は「めぐりあいの泉」と名づけられ、噴水や壁泉があります。

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四谷四丁目交差点の睡蓮鉢

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所在地:新宿区四谷4丁目

 新宿通りと外苑西通りが交わる四谷四丁目交差点の北東側の角にコブシなどの樹木が植えられ、灯籠などを配した坪庭風のスペースがあります。そして、ここに睡蓮鉢が埋め込まれていて、金魚やメダカが泳いでいます。池として紹介するにはあまりに小さな存在で気が引けるのですが、通るたびにちょっと気になるので取り上げてみました。ちなみにこの場所には江戸時代、甲州街道(今の新宿通り)を通って江戸に出入りする人や荷物をチェックする門(関所)が設けられ、「大木戸」と呼ばれていました。

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三井の森公園の池

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所在地:杉並区高井戸東1-31

 三井の森公園は井の頭線浜田山駅南西のかつては三井のグラウンド(三井上高井戸運動場)だった土地で、日本興業銀行グラウンド跡地である柏の宮公園の西隣に立地しています。元のグラウンドがどのような場所だったのか知らないのですが、武蔵野の緑が豊かだったようで、住民による緑地保全を求める運動がありましたが、結局、跡地の大部分は高級マンションが並ぶパークシティ浜田山として再開発されました。わずかに神田川左岸の崖線斜面とその下の低地部分が公園化され、崖線の樹林地および崖下のかつては釣り堀にも利用されたという池の一部、樹齢70年以上という桜の並木が残されました(ほかに道路をはさんで北西側の一帯も公園となっています)。

 この池は位置的に湧水池だったと思いますが、現在も湧水が健在なのかどうかは不明です。現在の池そのものは細長く、水量も少ないですが、その周囲の窪地全体も湿地のようになっており、訪問時は彼岸花がたくさん咲いていました。池を見下ろすようにウッドデッキが設けられています。

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(崖上の台地は宅地化された)

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えこっくる江東のトンボ池

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所在地:江東区潮見1-29-7

 前記事で紹介した潮見さざなみ公園の西側に江東区の清掃事務所があり、その敷地内に「えこっくる江東」という環境学習情報館があります。そして、その屋外施設として、ここにも「ポケットエコスペース」が設けられ、やはりトンボ池があります。原っぱや湿地といった環境をつくって、どのような生き物がやってくるか観察するための施設で、珍しいチョウトンボを含むさまざまなトンボがやってくるようです。水中にはガマなどの水生植物、湿性植物が植えられ、訪問時にはアサザが黄色い花を咲かせていました。

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(アサザの花)   

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潮見さざなみ公園のトンボ池

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所在地:江東区潮見1-29

 江東区の埋立地である潮見の東雲東運河(砂町運河)沿いに平成13年に開設された公園が潮見さざなみ公園です。なだらかな起伏のある園内にはハーブ類が植えれた花壇や親水テラスなどがあるほか、かつて江東区内に多く見られた湿地や原っぱといった環境を再生し、トンボなど水辺の生き物を呼び戻すための「ポケットエコスペース」と称するビオトープが設けられ、トンボ池と名づけられた池があります。水源は雨水に頼っているのか、訪問時の水量はかなり少なめで、池というよりは水たまりといった風情でしたが、かえって趣があるようにも感じました。

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