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2010年9月

麻布山善福寺・柳の井戸

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所在地:港区元麻布1-6-21

 麻布山善福寺は天長元(824)年、弘法大師空海が開いたと伝えられる、東京23区内では浅草寺に次いで古い寺院です。その後、鎌倉時代に親鸞が訪れたことで真言宗から浄土真宗に改宗し、現在に至っています。母方の祖父母の墓があるので、たびたび参拝していますが、参道沿いの柳の木の下に有名な「柳の井戸」があります。弘法大師が錫杖で地面を突いたら水が湧き出した、というどこかで聞いたような、というか、あちこちに存在する伝説がここにも残っていますが、とにかく都会の真ん中で、今も水が自然に湧き出る井戸というのは貴重でしょう。関東大震災や戦時下の空襲の際にもこの水が多くの人々を救ったということで、「東京の名湧水57選」にも選定されています。これは池とは言えませんが、紹介しておきます。

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(湧出口)

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東雲水門

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所在地:江東区豊洲5丁目

 江東区の臨海部は埋め立ての進展により東京湾の沖合にどんどん土地が拡大していますが、これらの埋立地の間にはたくさんの運河が縦・横・斜めに走っています。このうち豊洲と東雲(しののめ)・有明の間を流れるのが東雲運河で、ここに昭和40年に設置された防潮水門が東雲水門です。前記事で紹介した豊洲水門などと同様に東京湾と埋立地内部の運河を遮断し、高潮や津波の被害から守るのが役割ですが、この東雲水門には際立った特徴があります。

 それは有効幅員11.4メートル×3連のローラーゲート式水門のほかに幅員12メートルのセクターゲートと呼ばれる水門が併設されていることです。セクターゲートとは上から見ると扇形(ないしは蒲鉾形)のゲートが左右に設置され、これを回転させることで水路を閉鎖するタイプの水門です。ゲートを上下に昇降させることで水路を開閉するローラゲート式だと開放時にゲートが上方にあるため、通過できる船の高さに制限がありますが、セクターゲートでは高さの制限がないのが利点です。ちなみに東雲水門のローラーゲートは上空制限高がA.P.+6.9メートルです。

 東京都港湾局が管理する水門で、ローラーゲート上部には「止めるぞ高潮 守るぞ都民」と勇ましい言葉が書かれています。

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豊洲水門

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(豊洲運河にかかる豊洲橋から見た水門)

所在地:江東区越中島3-1

 江東区の越中島・塩浜・枝川と豊洲の間の水路が豊洲運河で、運河と隅田川(派川)との接続点に設置されているのが豊洲水門です。昭和37年に完成した幅員17.4メートル×2連のローラーゲート式水門で、上空制限高はA.P.+5.7メートルということです。上部の操作室には「安全とみんなの笑顔を守ります」と書かれており、高潮や津波の被害から豊洲運河とそれに繋がる運河の周辺地域を守るのが役割です。

 水門前の水面はたくさんの杭に囲まれた豊洲貯木場でしたが、現在は利用されていないようです。

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(隅田川の相生橋付近から見た豊洲水門)

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都立祖師谷公園の池

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所在地:世田谷区上祖師谷3・4丁目

 都立祖師谷公園は仙川の両岸に広がる緑地公園です。同じ世田谷区内の砧公園と同様に戦時下の昭和18年に「防空緑地」(空襲時の避難場所および延焼防止のための緑地)として計画されたのが始まりで、実際に開園したのは昭和50年のことです。現在も周辺の民有地を継続的に取得して順次拡張しています。

 公園内には仙川左岸に湿性植物園の池があり、ヨシなどが茂って野趣あふれる水辺空間となっています。池にはメダカが泳ぎ、ザリガニ釣りをする子どもたちも見られます。

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 一方、右岸側には「湧水池」という池が仙川の流れによって形成された崖線斜面を利用してつくられています。斜面上の水源から流れ出た水が石組の間を流れ下って、下の池に注ぐ形ですが、この水源が自然に湧き出す水なのかは不明です。というか、訪問時には水が止まっており、「湧水池の断水について」と題して次のような説明書きがありました。

「8月21日より湧水池の水が出ておりません。現在原因を調査中です。原因がわかり次第、至急復旧作業にはいりますので、もう暫くお待ち下さい(以下略)」

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(断水により水のない湧水池) 

 

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新宿・十二社熊野神社の弁天池

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所在地:新宿区西新宿2-11-2

 新宿中央公園の北西部に新宿の総鎮守である熊野神社があります。十二社(じゅうにそう)として知られるこの神社は室町時代の応永年間(1394-1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎という人物が故郷の紀州・熊野三山から十二所権現を勧請したことに始まります(異説もあり)。元来、鈴木家は紀州熊野の神職を務める家柄だったのが、源義経に従い、奥州平泉で敗走後、流浪の末に中野の地に定着して、土地を開発し、九郎の代になって中野長者と呼ばれるほどの財を蓄えました。そこで、それまで若一王子宮のみを祀っていたのに加えて、熊野の十二の神々すべてを遷して祀ったようです。

 その熊野神社の西側に江戸初期の慶長11(1606)年、伊丹播磨守によって大小2つの池からなる灌漑用の溜池が造られました。この池は享保年間(1716-35)に徳川吉宗が鷹狩りの際に立ち寄り、そのすぐれた景観を讃えたことから、江戸西郊の景勝地として知られるようになり、「十二社の池」として親しまれました。賑わいは明治から昭和初期にかけても続き、最盛期には料亭や茶屋約100軒、芸妓300名を数えるほどで、多くの人が池で舟遊びや釣りなどを楽しんだということです。

 また、寛文7(1667)年に玉川上水の水を神田上水(今の神田川)に引くための神田上水助水堀が熊野神社付近を通る形で開削され、この水を用いた滝が境内につくられたことも、この地の風光を高めていました。滝は高さ三丈(約9メートル)ほどもあったと伝えられています。

 滝は明治時代に失われ、「十二社の池」は小池が水質悪化により、戦時中までに埋め立てられ、残った大池も昭和43(1968)年に埋め立てられ、今は完全に消滅しています。ただ、熊野神社そばのバス停の名前に名残が見られるのみですが、周辺を歩いてみれば、池が存在した場所は一帯の地形から大体推測できます。

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(「十二社池の上」バス停もあります)

 さて、現在の熊野神社境内には金魚の泳ぐ池があり、石橋のかかった中の島に弁財天が祀られています。小さな滝もつくられています。池畔には「こひづか」と刻まれた石碑が立っていますが、これは昭和16年7月に十二社池の小池の水質が悪化して、鯉が大量死した時に建立されたのを遷したものです。

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(こひ塚)

 

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新宿中央公園の新宿ナイアガラの滝・白糸の滝

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所在地:新宿区西新宿2-11

 西新宿の超高層ビル街にある新宿中央公園は昭和40(1965)年に廃止された淀橋浄水場の跡地を利用して造成された公園で、敷地の一部はコニカ(現コニカミノルタ)の前身である小西六写真工業の工場があった「日本の写真工業発祥の地」でもあります(記念碑あり)。

 テレビドラマにもたびたび登場するこの公園のシンボル的存在が人工の滝で、その名も「新宿ナイアガラの滝」です。ずいぶん大きく出たネーミングではありますが、それなりに迫力はあります。

 水の流れる時間は夏季8時~19時、冬季8時~18時です。

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 ナイアガラの滝の裏側にはもう少しスケールの小さい滝があり、こちらは「新宿白糸の滝」と命名されています。こちらにはカメがたくさんいました。

 水の流れる時間は夏季11時~18時、冬季は11時~17時で、どちらも14時~15時の間は休止です。

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明治神宮外苑・聖徳記念絵画館前の池

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所在地:新宿区霞ヶ丘町1-1

 青山通りから伸びる神宮外苑の有名なイチョウ並木の彼方に見える洋風建築が絵画館で、正式には聖徳記念絵画館といいます。明治天皇と昭憲皇太后の遺徳を末長く後世に伝える目的で青山練兵場跡地に建設されたもので、大正8年に起工、震災による工事中断を経て大正15年10月に竣工しました。ドーム屋根を中心とするシンメトリックな建築で、外壁には岡山県産の花崗岩が用いられています。年中無休で公開されている館内には明治天皇の生誕から崩御までの事蹟を描いた80枚の大壁画が年代順に並べられています。前半40枚は日本画、後半40枚は西洋画で描かれ、幕末から明治にかけて西洋文明を取り入れつつ近代化を進めた日本の歴史を表現しています(といっても、実は入館したことはないのですが…)。

 建物の前には池があり、池の左右にシロマツという珍しい木が植えられています。

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