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2010年2月

日本橋水門

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所在地:中央区新川1丁目・日本橋茅場町1丁目

 日本橋川とその分流である亀島川の接続点に設置されているのが日本橋水門です。日本橋川と亀島川はいずれも潮の干満の影響を受ける感潮河川なので、高潮や津波の被害から流域の街を守るために高い堤防に囲まれ、亀島川は両端に防潮水門があります。

 日本橋川といえば、上空を首都高の高架橋に覆われた惨めな姿の川ですが、亀島川との分流点を過ぎてようやく空の下に出て、まもなく隅田川に合流します。

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(亀島川にかかる霊岸橋から見た日本橋水門)

 南米チリの巨大地震の影響で日本列島にも津波警報が発令された2010年2月28日、津波に備えて東京港や内部河川の防潮水門もすべて閉鎖されました。下は閉鎖された日本橋水門です。

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荒川小菅緑地公園のビオトープ池

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(近くに綾瀬排水機場と綾瀬水門が見える)

所在地:葛飾区小菅1丁目

 荒川小菅緑地公園は荒川左岸の河川敷を利用した緑地公園で、一部に多目的広場や芝生、花壇があるほかは、もともと荒川の河川敷に生えていた種類の植物を植栽するなどして荒川の自然の復元を図っています。

 緑地の一角にはビオトープの池もつくられています。池は小さなものですが、ヨシが生え、夏にはトンボなどが産卵するのでしょう。このような自然再生のための試みは荒川両岸のいたるところで行われています。

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綾瀬排水機場排水樋管

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所在地:葛飾区小菅1丁目

 埼玉県桶川市に水源をもつ綾瀬川が荒川と出合う綾瀬水門の上流側に綾瀬排水機場があります。もともと低地を流れる水害多発河川であるため、増水時に洪水を防ぐべく綾瀬川の水を荒川(放水路)にポンプで排水するのが設置目的で、荒川からの逆流を防ぐ綾瀬水門とセットで綾瀬川流域の街を水害から守っています。

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綾瀬水門

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(手前が荒川側。向こうが綾瀬川)

所在地:葛飾区堀切4丁目

 荒川放水路(現・荒川)の開削によって隅田川につながる下流部(旧綾瀬川)を分断された綾瀬川は堤防を隔てて荒川と並流し、中川と合流しています。その綾瀬川と荒川が出合う地点(かつての綾瀬川の流路分断地点)に水門が設けられ、荒川と綾瀬川の間を水路で結び、船の通航ができるようになっています。これが1974年完成の綾瀬水門で、通常は開いていますが、荒川の増水時に閉鎖して、綾瀬川への逆流を防ぎ、綾瀬川流域の街を洪水被害から守ります。

 したがって、綾瀬水門と隅田水門を通れば、綾瀬川から荒川を斜めに横切り、旧綾瀬川に入って隅田川へ、という分断前の綾瀬川のルートは維持されているわけです。

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(右が綾瀬川、左が荒川。向こうに綾瀬排水機場)

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隅田水門

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所在地:墨田区墨田5丁目・足立区千住曙町

 東武伊勢崎線・堀切駅のすぐ南側の線路際に見えるのが隅田水門です。荒川と旧綾瀬川の分流点に設置されています。

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(荒川対岸から見た隅田水門)

 現在の荒川下流部は明治43年の大水害をきっかけに計画され、大正13年に通水、昭和5年に完成した人工の放水路ですが、この荒川放水路の開削によって、それまで隅田川に注いでいた綾瀬川が分断され、荒川と隅田川の間に残った綾瀬川の最下流部が旧綾瀬川で、長さはわずか400メートル余りです。

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(旧綾瀬川。400メートル余り先で隅田川に合流)

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池の妙音寺の弁天池

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所在地:台東区松が谷1-14-16

 上野と浅草にはさまれた東上野・松が谷・元浅草の一帯はたくさんの寺院が集まる寺町をなしていて、そのうち松が谷1丁目に日蓮宗の妓楽山妙音寺があります。創建は江戸初期の慶長15(1610)年とのこと。

 山門をくぐると、左手に妙音弁財天をまつる弁天堂があり、その脇にたくさんの錦鯉が泳ぐ池があります。橋には石橋もかかっています。

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今井水門

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所在地:江戸川区江戸川4-14

 今井水門は新中川が旧江戸川に合流する地点に1963年に設置された防潮水門で、江戸川区・葛飾区・足立区の低地帯を高潮や津波の侵入から守る役割を担っています。

 都内では最大級の水門で、有効幅員14.5メートルのゲートが7つも並ぶ姿は壮観です。

 門扉の高さは9.46メートルあり、開閉時間は10分、開閉速度は分速0.75メートルです。

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(下流側から見た新中川・旧江戸川合流点と今井水門)

 南米チリで発生した巨大地震の影響で日本列島にも津波警報が発令された2010年2月28日、今井水門も閉鎖されました。僕が見物に行った時は水門閉鎖時よりも潮が満ちていて、水門の下流側の方がかなり水位が高くなっていました。警報が解除されたとしても、この状態で仮に水門を開けると、新中川に急激に逆流して水害が発生しかねません。つまり、水門閉鎖はいつでもできますが、開放はいつでもできるとは限らず、水門の両側の水位が一致するタイミングを待たねばならないということですね。

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(津波警報発令で閉鎖された今井水門。下流側)

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(上流側。こちらの方が水位が低い。もちろん、すべて赤信号。2010.2.28 15:55頃)

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本郷給水所公苑の池

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(地球儀のある西洋庭園)

所在地:文京区本郷2-7-13

 東京都水道局の本郷給水所は日本の近代水道が開設された明治31(1898)年から稼働する歴史のある給水所で、貯水槽上部の人工地盤を利用したのが本郷給水所公苑です。

 園内は武蔵野の自然を再現し、池やせせらぎのある和風庭園とバラ園に彫刻や地球儀などを配した西洋庭園に分かれています。

 池には水生植物が植えられ、鯉も泳いでいます。

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 また、東京都水道歴史館に隣接しており、その屋外展示として、昭和62年から平成元年にかけて地中から発掘された江戸時代の神田上水の石樋も移築復原されています。

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(井筒から湧き出た水が石樋の中を流れていく)

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高橋是清記念公園の池

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所在地:港区赤坂7-3

 高橋是清(1854‐1936)は大正から昭和初期にかけて日銀総裁、蔵相、首相などを歴任し、岡田啓介内閣の大蔵大臣だった昭和11(1936)年2月26日、いわゆる二・二六事件で殺害された人物で、その事件の現場ともなった邸宅跡が当時の東京市に寄贈され、昭和16年に高橋是清翁記念公園として公開されました。昭和50年に都から港区に移管され、現在も都会のオアシスとなっています。

 公園は青山通り沿いにあり、道路の拡幅で面積はいくらか縮小しましたが、和風庭園はほぼそのまま残り、さまざまな樹木が生い茂る中に石灯籠や石像、池などが配され、高橋是清翁の銅像も立っています。

 戦時中の空襲により、残された建物が焼失しましたが、母屋は当時、故人の眠る多磨霊園に移築されており、戦災を免れ、現在は小金井公園の「江戸東京たてもの園」に移されています。

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日の出水門

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所在地:港区海岸2・3丁目

 東京港と芝浦運河をつなぐ芝浦東運河に1977年に設置された防潮水門が日の出水門で、日の出桟橋のすぐ南側に位置しています。

 有効幅員18メートル×2連の水門で、ゲートの色は最近まで赤だったようですが、近年、薄いブルーに塗り直されました。水門のすぐ脇を「ゆりかもめ」が走っています。

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きたみふれあい広場のトンボ池

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(この公園の直下が小田急の電車基地)

所在地:世田谷区喜多見9-24

 きたみふれあい広場は小田急線の喜多見電車基地の上に設けた人工地盤を緑化した区立公園で、周辺の地上部分も含めると約3万9,000平方メートルにも及ぶ広大な緑地です。遠くに富士山を望み、東側には野川と国分寺崖線を見渡すことができます。

 人工地盤とは思えないほど緑が豊かな園内にはトンボ池という池もあり、スイレンなどが植えられています。

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古川水門

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所在地:港区海岸2丁目・芝浦1丁目

 古川(渋谷川)の河口部と芝浦運河の接続部に1977年に設置された水門が古川水門で、写真の通り、ユニークな魚のイラスト入りです。

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 有効幅員12メートル。上空制限高はA.P.+5.1メートル。

 A.P.はArakawa Peilの略で、明治6年から12年にかけて当時の荒川(現在の隅田川)河口の霊岸島水位観測所で測定した東京湾の干潮時の最低水位をA.P.±0メートルとする水位の高さの基準で、荒川水系・東京港・多摩川などで水位観測や堤防、水門などの設計の基準として用いられています。東京湾では潮の干満によってA.P.0メートル~A.P.+2.1メートルの間で潮位が変動するので、A.P.+5.1メートルということは、満潮時においては高さ3メートルまでの船しか水門を通れないということになります。

 ちなみに、霊岸島での同時期の潮位観測による東京湾の平均海面の水位を基準としたのが日本の土地の高さの尺度である標高(海抜、Tokyo Peil=T.P.)です。

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高浜水門

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所在地:港区港南3丁目・海岸3丁目

 東京湾と高浜運河の接続点に1972年に設置された防潮水門が高浜水門です。有効幅12メートル×2連の水門で、ゲートはブルーに塗装され、白い雲やカモメのイラストが描かれています。東京湾に面した反対側にもイラストが入っているはずですが、船に乗らなければ見えません。

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芝川水門と新芝川排水機場樋管

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所在地:埼玉県川口市領家5丁目

 足立区都市農業公園のすぐ西側で荒川に合流するのが(新)芝川です。芝川は埼玉県桶川市に源流をもつ一級河川で、途中で放水路として開削された新芝川と分かれ、最後にまた合流して荒川に注ぎます。荒川増水時に逆流を防ぐため、合流点に1971年に設けられたのが2連の芝川水門です。

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(思わず住みたくなる新芝川排水機場樋管。堤防の向こうが排水機場)

 隣には新芝川増水時に水をポンプで荒川に排水するために1978年に設置された新芝川排水機場があります。その排水口に新芝川排水機場樋管(樋門)があります。この水門上部の部屋、初めて見た時、「あそこに住んでみたい!」という気持ちになりました。それ以来、各地の水門を見るたびに、水門上の「物件」をチェックするようになっています。もちろん、部外者が居住可能な水門なんてありません。

 ちなみに、水門と樋管(樋門)の違いは、堤防を分断して設置されるのが水門、堤防を分断せずに水路がトンネルで下をくぐるのが樋管で、樋管のゲートが樋門です。

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足立区都市農業公園の池

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所在地:足立区鹿浜2-44-1

 荒川と新芝川の合流点付近にある都市農業公園は「自然と遊ぶ、自然に学ぶ、自然とともに生きる」をテーマにした公園で、園内には田んぼや野菜畑、花壇、ハーブ園などがつくられ、足立区内から移築された古民家もあり、消えつつある都市の農業への理解を深めるためのさまざまな体験イベントも行われるなど、自然と触れ合える場になっています。

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 公園内には溜池のような池もあり、黒鳥(Black Swan)が飼われています。黒鳥はオーストラリア原産の鳥ですが、足立区が西オーストラリアのベルモント市と姉妹都市の提携を結んでいることから、同区梅島のベルモント公園でも飼育されています。

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 荒川の堤防上にあるレストハウスは荒川サイクリングロードを走るサイクリストたちのオアシスになっており、ソフトクリームの種類が選ぶのに迷うほどたくさんあります。

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竪川水門

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所在地:墨田区千歳1-3-11

 竪川と隅田川が合流する地点に設けられた防潮水門です。

 竪川は万治2(1659)年に開かれた運河で、中川(旧中川)と隅田川を結ぶ水路です。南側を並行して流れる小名木川の補助ルートとして舟運に利用されました。江戸城から見てタテに流れているので竪川と名づけられました。

 現在は水路の上を首都高速・小松川線の高架橋が通り、大横川以東は埋め立てられ、大横川以西のみ水面が残って、屋形船などが係留されています。

 隅田川を通じて潮の干満の影響を受けるので、高潮や津波の被害を防ぐ目的で昭和34年に水門が設置されました。

 形式 鋼製単葉ローラーゲート

 規模 有効幅11メートル×2連

     門扉高さ 7.5メートル

     開閉時間 5分

     開閉速度 1.5メートル/分

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鳩山会館の池

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所在地:文京区音羽1-7-1

 現在の鳩山由紀夫首相(1947‐)とその弟・邦夫氏(1948‐)まで4代にわたる政治家一家として知られる鳩山家の通称「音羽御殿」は由紀夫・邦夫兄弟の祖父にあたる鳩山一郎氏(1883-1959、1954‐56首相)が1924年に私邸として建てたもので、設計は友人の建築家・岡田信一郎氏によるものです。

 音羽の高台に立つ邸宅は現在は「鳩山会館」として一般公開されており(入館料500円)、僕が訪れたのが、鳩山政権誕生直後だったせいもあって、観光バスが来るほどの賑わいでした。支持率急落中の現在はどうか知りません。

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 御殿と呼ばれるほどのお屋敷なら当然庭に池があるはずだ、と予想して行ってみたわけですが、やっぱりありました。立派な錦鯉の泳ぐ池が…。鳩山家にシンボルでもあるハトの彫刻をあしらった池は段差を設けて、いくつかの区画に分けられ、それぞれに大きさの異なる鯉が泳いでいます。池畔には鳩山一郎氏の両親である和夫氏(1856-1911、衆議院議長)と春子夫人の銅像(朝倉文夫作)が立っています。

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(鳩山和夫・春子夫妻の像)

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(池の向こうに立つのは鳩山一郎像)

 戦後政治の舞台ともなった洋館には鳩山一族の記念の品々が展示され、庭園にはバラをはじめさまざまな花が咲き乱れ、それなりに見ごたえはありました。

 鳩山会館のある台地の下にはかつて神田川の支流・音羽川が流れており、その川跡に沿ってコンクリートで固められた崖が続き、今もあちこちでささやかな湧水を見ることができます。

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(台地の崖下に続く音羽川の川跡の道)

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(湧き水) 

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豊島岡墓地の湧水池

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所在地:文京区大塚5丁目

 豊島岡墓地は護国寺に隣接する皇族(天皇・皇后を除く)専用の墓地です。明治6(1873)年、明治天皇の第一皇子が死産した際に護国寺の所有地の一部を東京における皇族専用墓地としたのが始まりです。

 広大な敷地は鬱蒼とした小高い丘や、湧水によって形成された谷戸など起伏に富んだ地形です。湧水は今も健在のようで、護国寺との境界近くに小さな池がひっそりとあります。もちろん、一般人は立ち入ることができませんが、隣の護国寺の墓地のたまたま空いていた区画から塀越しに覗くことができました。もちろん、この区画にどなたかが埋葬されれば、そのような場所に立ち入るべきではないので、池を見ることもできなくなるかもしれません。

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天王洲水門

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所在地:港区港南4丁目・品川区東品川2丁目(天王洲運河)

 天王洲アイル北側の天王洲運河に設置された防潮水門。カモメのイラスト入り。

 探訪時は工事中のためゲートが1枚閉じていました。

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目黒川水門

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所在地:品川区東品川1・3丁目(天王洲運河)

 東京の池の紹介件数が250を突破し、まだまだネタ切れというわけではないのですが、下町方面の池を探索していると、以前から気になる存在だった水門をあちこちで見かけ、そのたびにじっくり観察し、写真を撮っていたのがだいぶたまってきたので、今後どんどん紹介していくことにしました。そのため、ブログタイトルも「行け! いけ! 探訪!! 東京の池と水門」に改めさせていただきました。池に関しては今のところ23区限定なのですが、水門に関しては23区に限らず取り上げるつもりです。あしからず。

 ということで、第一号は前記事の東品川海上公園から見える目黒川水門です。目黒川河口に接続する天王洲運河に設置された水門です。高潮や津波に備えた防潮水門で、通常は開いていますが、台風などで高潮の危険がある時や地震の発生時にただちに閉鎖され、水害の発生を防ぎます。

 それまで赤く塗られていた扉は塗り直しに際して図柄を一般公募して、表には「しながわ鯨」、裏側には「海のともだち」という作品が描かれ、2008年に完成しました。港湾局の水門のゲートには絵入りのものが多いようです。

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東品川海上公園の池

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(目黒川河口。左手が東品川海上公園)

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所在地:品川区東品川3丁目

 東品川海上公園は目黒川が天王洲南運河に注ぐ河口部に立地し、運河沿いにはボードウォークが整備され、また噴水や水遊び用のせせらぎなどもある親水公園です。

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(ミッフィー花壇)

 隣接する東京都下水道局東品川ポンプ所の屋上も庭園として整備され、さまざまな樹木や草花が栽培されています。この庭園にはビオトープの池もあり、メダカが泳ぎ、スイレンなどの水生植物が植えられています。

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(東品川ポンプ所屋上の池と水源)

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本芝公園の噴水池

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所在地:港区芝4丁目

 JR田町駅の北側の線路沿いにあるのが港区立・本芝公園です。昔、この一帯は古川河口の三角州にあたる砂浜の海岸で、江戸時代以前から開けていたため、本来の芝という意味で本芝という地名となり、公園のある場所は江戸時代には魚の水揚げ場となり、「雑魚場(ざこば)」と呼ばれました。明治5年に新橋~横浜間の鉄道が開通すると、線路は軍部の意向で海岸の堤防上に敷かれ、雑魚場からはガードをくぐって東京湾に出入りできましたが、その後、線路の海側(芝浦)の埋め立てが進み、漁業も行われなくなり、海水が滞留するようになったので、雑魚場は昭和43年に埋め立てられ、公園化されました。

 公園には噴水の池がありますが、サザエの形をした噴水など、なかなかユニークです。

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待乳山聖天の池

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所在地:台東区浅草7-4-1

 隅田川右岸の小高い丘にある待乳山聖天(まつちやましょうでん)は正式には待乳山本龍院(聖観音宗)といい、浅草寺の支院にあたります。寺の縁起によれば、推古天皇6(601)年の夏、人々が干ばつに苦しんでいたところ、十一面観世音菩薩が大聖歓喜天に化身して現われ、雨を降らせて人々を救ったので、「聖天さま」をこの地に祀ったのが始まりと伝えられています。その6年前には先触れとして、大地が突然盛り上がって待乳山ができ、そこに金色の龍が舞い降りたといい、金龍山は浅草寺の山号になっています。

 歓喜天はもともとはヒンドゥー教の神が仏教に取り込まれ、仏法の守護神となったもので、象頭人身の男女双身像として表わされるので、縁結び・夫婦和合の御利益があるとされ、広く信仰を集めてきました。無病息災・夫婦和合を象徴する二股の大根を供える風習がこのお寺にも伝わっていて、境内にも商売繁盛の象徴である巾着袋とともに大根の意匠が随所に見られます。

 本堂などは関東大震災や戦災で焼失し、現在の建物は昭和36年に再建されたものですが、唯一江戸時代から残る築地塀のみが往時の面影を伝えています。

 境内が小高い丘に位置するので、古来、隅田川を一望する景勝地として知られ、浮世絵や詩歌の題材にもなったということですが、周囲に建物が増えた現在はかつての眺望は失われています。ただ、日々成長していく東京スカイツリーはよく見えます。

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 境内には丘とその下の低地の高低差を生かした庭園があり、錦鯉が泳ぐ池があり、小さな滝も作られています。

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花川戸公園の池と「姥ヶ池旧跡」

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所在地:台東区花川戸2-4

 浅草にはかつて隅田川に通じる「姥ヶ池」という大きな池がありました。名前の由来として次のような伝説があります。

 昔、浅茅ヶ原の一軒家に老母と美しい娘が住んでいて、娘が旅人をかどわかして家に泊め、旅人が寝入ったところを老母が石の枕で頭を叩き割って殺し金品を奪うという生活をしていました。ある日、いつものように家に泊めた旅人を老母が石枕で殺したところ、死んでいたのは身代わりとなった娘でした。老婆は大いに悲しみ、自らの悪業を悔やんで、池に身を投じたということです。それ以来、里人はその池を「姥ヶ池」と呼ぶようになったというわけです。

 この池は明治24年に埋め立てられ、現存しませんが、跡地は東京都の旧跡に指定され、花川戸公園内に「姥ヶ池舊跡」の碑が立っています。

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 また、現在は公園内に鯉のいる新しい池がつくられており、福寿稲荷大明神と姥宮沙竭羅龍王を祀る祠が並んでいます。

 なお、2010年2月に訪れた際には「姥ヶ池」の碑が割れて、下の写真のような惨状になっていました。

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隅田川テラス・吾妻橋左岸の修景池

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(隅田川にかかる吾妻橋。対岸は浅草)

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所在地:墨田区吾妻橋1丁目

 隅田川沿いでなんと“湧水”の池を発見しました。

 浅草から吾妻橋を墨田区側に渡ると、橋の下流側の隅田川テラスにあります。湧水といっても、自然に湧き出しているのではなく、直下を通っている地下鉄・都営浅草線の施設内の湧水を汲み上げ、テラスの修景用に利用しているわけです。

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(吾妻橋から見た池。地下鉄トンネル内の湧水を利用)

 湧出量は季節によっても異なりますが、平均で月2万立方メートルほどだといい、それを一定の時間をおいて間欠的に放流しています。そして、最後はそのまま隅田川に注ぐ仕組みです。

 池には水生植物や湿性植物が生え、水際に木も植えられています。

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