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越前堀児童公園の池

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所在地:中央区新川1-12

 日本橋川と亀島川、隅田川によって囲まれた中央区新川のほぼ中心に区立越前堀児童公園があり、池があります。池には「ECHIZEN LINE」というネームの入った船の形の遊具が設置され、なぜかゾウの親子もいるという完全に子どもの水遊び用の作りになっています。水源は小高いところにあり、井桁から湧き出た水がせせらぎとなって池に注ぐようになっていますが、僕が訪れたのは冬だったので水は止まり、池には氷が張っていました。

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 ところで、この一帯はかつて霊巌島(霊岸島)と呼ばれました。その名は江戸時代初期に隅田川河口付近のヨシが生い茂る中州を浄土宗の僧・雄誉霊巌上人が埋め立て、寛永元(1624)年に霊巌寺を創建したことに由来します。ちなみに現町名の新川は万治年間(1658-61)に河村瑞賢が亀島川と隅田川を結ぶ運河を開削し、これが新川と呼ばれたことに基づきます。新川は戦後、完全に埋め立てられ、今は道路になっています。

 なお、霊巌寺は明暦の大火(1657)で全焼し、深川の白河町に移転、霊巌島には江戸の町人が集団移住してきました。

 さて、この霊巌島には福井藩主・松平越前守の浜屋敷がありました。東側は隅田川に面し、北西南の三方には堀がめぐらせてありました。これが越前堀で、荷を積んだ船も出入りできたようです。

 明治以降、屋敷跡は越前堀という町名となりましたが、堀は関東大震災以後、ほぼ埋められ、戦後、わずかに残っていた隅田川に近い部分も埋め立てられて消滅しました。町名も「新川」と改められ、今や越前堀の名を残すのはこの小さな公園のみとなっています。これらの歴史を後世に残すため、公園内には「霊巌島之碑」や発掘調査で見つかった越前堀の護岸に使われた石があります。

 なお、この公園は関東大震災後につくられた「帝都復興小公園」の一つでもあります。

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(池のほとりに咲く越前水仙)

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(公園内にある「霊巌島之碑」)

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(公園内の堀跡付近に展示された護岸の石垣石)

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