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2010年1月

中の島公園の感潮池(潮入の池)

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(相生橋と橋の下の中の島公園)

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(感潮池)

所在地:江東区越中島2丁目

 久々におもしろい池を見つけました。江東区立中の島公園の池です。

 隅田川河口部で本流から分かれ、晴海運河・豊洲運河に通じる派川に架かるのが相生橋で、中央区佃と江東区越中島を結んでいます。両岸の間にあった中州が中の島で、明治36年に初めて橋が架けられた時、島を中継地として2本の木橋が架けられ、佃島側が相生大橋、越中島側が相生小橋と呼ばれました。しかし、これらの橋は関東大震災で焼失し、大正15年に再建、その後、昭和2年に中の島は隅田川唯一の水上公園として整備されました。

 相生橋は木橋の時代から月の名所でもあり、中の島公園も大いに賑わったということですが、隅田川の水質汚染が進むにつれ、訪れる人も少なくなり、昭和48年に公園は閉鎖されてしまいます。その後、隅田川の水質も改善し、昭和53年の花火大会の17年ぶり復活に続き、中の島公園も昭和55年に再び開園しました。この時、中の島は越中島と地続きになり、園内に新たに池もつくられました。

 池は感潮池(潮入の池)で、隅田川との間に通水管が設けられ、潮の干満により水位が変化する仕組みになっています。

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(常に水のある潮だまり部分)

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(通水管を通って水が入ってくる)

 常に水がある「潮だまり池」以外は干潮時には水が流出してなくなり、潮が満ちてくると、また水が入ってきます。僕が訪れた時は水がほとんどなかったのですが、ちょうど満ち潮で、徐々に水が流れ込み、10分後にはすっかり池らしくなっていました。

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(上の写真では水がなかったが、10分後には下の写真の通り)

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 ベンチで本でも読みながら一日眺めていたい、そんな気持ちになる池です。

 なお、相生橋は平成10年にトラス橋に架け替えられています。

 ついでに相生橋の佃側(中央区)にある石川島公園にも感潮池があります(下写真)。

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佃公園の池

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(佃公園の池)

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所在地:中央区佃1丁目

 佃煮発祥の地として知られる佃島。徳川家康に従って江戸に移住した摂津国佃村の漁民が隅田川河口部の中州を拝領し、これを埋め立てて島を築いたのが始まりです。

 今も昔ながらの漁村の風情が残る一方、それを大川端の高層ビル群が睥睨し、奇妙といえば奇妙だけれど、東京らしいといえば東京らしい景観が見られます。

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 その佃島(現在は埋め立てにより、北方にあった石川島とも南方にあった月島とも一体化しています)の一角にあるのが中央区立佃公園です。隅田川を見渡す小高い丘にはかつての灯台のモニュメントもあります。そして、ここにも池がありますが、むしろ、公園の南側にある堀(佃川支川)や摂津の住吉神社の分霊を勧請した住吉神社とその界隈の方がずっと風情があり、味わい深いです。

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(佃島の人々の心の拠り所・住吉神社)

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(住吉神社境内にひっそりと立つ二宮金次郎像)

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(こんな井戸も残る) 

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晴海トリトンスクエアの池

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所在地:中央区晴海1丁目

 黎明橋公園から晴海通りをはさんだ向かい側がオフィスビルや高層住宅、複合商業施設からなる晴海アイランド・トリトンスクエアです。この中に南欧をイメージしたような水の風景があります。

 埋立地ならではの歴史とも風土とも無縁な、このような人工池は本当は探訪の対象からはずれるのですが、たまたま見つけて写真も撮ってしまったので、一応紹介しておきます。

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黎明橋公園の池

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所在地:中央区晴海3-1

 月島・勝どきと晴海を隔てる朝潮運河に架かる橋で、晴海通りを渡すのが黎明橋です。そして、橋の晴海側のたもとにあるのが中央区立黎明橋公園です。まぁ、普通の児童公園で、公園内に普通の池があります。小高い所に水源があり、石組の間を流れ下り、池に注ぐというよくあるパターンで、冬は水が止まっているというのもありがちです。ただ、池にはちょっとユニークな噴水があります(下写真)。

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越前堀児童公園の池

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所在地:中央区新川1-12

 日本橋川と亀島川、隅田川によって囲まれた中央区新川のほぼ中心に区立越前堀児童公園があり、池があります。池には「ECHIZEN LINE」というネームの入った船の形の遊具が設置され、なぜかゾウの親子もいるという完全に子どもの水遊び用の作りになっています。水源は小高いところにあり、井桁から湧き出た水がせせらぎとなって池に注ぐようになっていますが、僕が訪れたのは冬だったので水は止まり、池には氷が張っていました。

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 ところで、この一帯はかつて霊巌島(霊岸島)と呼ばれました。その名は江戸時代初期に隅田川河口付近のヨシが生い茂る中州を浄土宗の僧・雄誉霊巌上人が埋め立て、寛永元(1624)年に霊巌寺を創建したことに由来します。ちなみに現町名の新川は万治年間(1658-61)に河村瑞賢が亀島川と隅田川を結ぶ運河を開削し、これが新川と呼ばれたことに基づきます。新川は戦後、完全に埋め立てられ、今は道路になっています。

 なお、霊巌寺は明暦の大火(1657)で全焼し、深川の白河町に移転、霊巌島には江戸の町人が集団移住してきました。

 さて、この霊巌島には福井藩主・松平越前守の浜屋敷がありました。東側は隅田川に面し、北西南の三方には堀がめぐらせてありました。これが越前堀で、荷を積んだ船も出入りできたようです。

 明治以降、屋敷跡は越前堀という町名となりましたが、堀は関東大震災以後、ほぼ埋められ、戦後、わずかに残っていた隅田川に近い部分も埋め立てられて消滅しました。町名も「新川」と改められ、今や越前堀の名を残すのはこの小さな公園のみとなっています。これらの歴史を後世に残すため、公園内には「霊巌島之碑」や発掘調査で見つかった越前堀の護岸に使われた石があります。

 なお、この公園は関東大震災後につくられた「帝都復興小公園」の一つでもあります。

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(池のほとりに咲く越前水仙)

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(公園内にある「霊巌島之碑」)

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(公園内の堀跡付近に展示された護岸の石垣石)

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天祖諏訪神社の弁天池

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所在地:品川区南大井1-4-1

 京浜急行・立会川駅で降りて、そばを流れる立会川を河口に向かって歩くと、すぐに旧東海道と交差します。そこにある橋が浜川橋、またの名を涙橋ともいいます。江戸時代、鈴ヶ森の刑場に送られる罪人の縁者がここまでは見送りを許されたことからの命名です。

 そして、この浜川橋の南側(立会川右岸)に東海道に面して鎮座するのが天祖諏訪神社です。かつては川を挟んで北側に諏訪神社、南側に天祖神社があり、地元の鎮守、氏神として崇敬を集めていましたが、昭和40年に合祀されました。また、当社は東海七福神の福禄寿をも祀っています。

 境内には厳島神社もあり、赤い祠を囲むように池があり、鯉が泳いでいます。福禄寿だけでなく、弁財天も祀られているわけです。

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 実はこの池、正月休みに「ちい散歩」(立会川編)を見ていて発見しました。

 また、昔は神社の前に海が広がっていたそうで、そこに幕末の黒船来航に備えて土佐藩が築いた砲台(浜川砲台)があり、土佐から江戸に出てきたばかりの坂本龍馬も配属されていました。ということで、立会川駅そばの公園には龍馬像が立っています。

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中央区立桜川屋上公園の池

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所在地:中央区湊1-1-2

 亀島川に面した東京都下水道局の桜橋第二ポンプ所の屋上にあるのが中央区立桜川屋上公園です。下の道路からは公園の様子はまったく分からないので、入口の案内図に池が描かれているのを見た時は、あまりに意外な場所に池があるので大発見をしたような気分になりました。まぁ、実際は建物の屋上を庭園化しただけなので、池といっても大したものではないのですが…。

 ゲートボール場もある公園内にはさまざまな木が植えられ、花が咲き、せせらぎが作られ、それが池に注いでいます。魚などはいません。

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 あずまやもあって、この一帯で働く人々の憩いの場にはなっているのでしょう。

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(公園の東側から亀島川を見下ろす)

 

 

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一之江名主屋敷の池

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所在地:江戸川区春江町2-21-20

 大雲寺からさらに北へ行くと、「一之江名主屋敷」があります。

 東京都及び江戸川区の史跡に指定された「一之江名主屋敷」は江戸時代を通じてこの土地の名主を世襲した田島家の居宅です。もとは堀田氏といい、豊臣家の家臣でしたが、関ヶ原の戦いに敗れた後、一族郎党を引き連れて関東に逃れ、姓を田島に改めて当地に定着し、新田を開発して、代々名主を務めたということです。

 現存する曲がり屋風の建物は安永年間(1772-80)に再建されたもので、周囲に濠をめぐらし、屋敷林、畑、庭園、屋敷神(稲荷社)をそなえています。

 庭園は江戸末期から明治にかけてしだいに整えられたと考えられ、平成11年の景観整備に際して、築山と滝石組はそのまま保存し、州浜も復元されています。また、ここに湧水があったという伝承から池泉観賞式庭園として整備され、池には鯉が泳いでいます。

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 また、敷地の西側には濠の名残らしい水面が小川のように残っています(下写真)。

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 見学には維持協力金100円が必要です(中学生以下無料)。

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大雲寺の池

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所在地:江戸川区西瑞江2-38-7

 明福寺から北北西に1キロほど行くと、大雲寺というお寺があり、こちらも訪ねてみました。

 そもそも明福寺にしても大雲寺にしても、一般的な知名度が高いわけでもなく、地図を見ても、境内に池が描かれているわけでもありません。では、なぜ訪ねてみたのかというと、小沢信男・冨田均著『東京の池』(作品社、1989年)の中で取り上げられていたからです。ただし、明福寺については池が健在とあるものの、大雲寺の池については冨田氏が次のように書いています。

 「門をくぐって広い墓地の入口にさしかかるところに名残の池跡がある。小さな石橋がかかっている。無為橋とある。水は涸れているが湿地の感じが残っている」

 かつては灌漑用の溜池があったそうです。すでに水は涸れてしまったということですが、明福寺を訪ねたついでにどんな様子なのか見に行ってみました。

 長行山専称院大雲寺(浄土宗)は元和5(1619)年に蔵前に創建された寺で、その後、火災に遭い、押上に移転し、さらに関東大震災で再度焼失し、大正14年に現在地に移ってきました。「役者寺」の異名をもつほど多くの歌舞伎俳優の墓があることで知られています。次の役者の墓があります。市村羽左衛門(初代~16代)、坂東彦三郎(3~6代)、尾上菊五郎(1・3・5・6代)、中村勘三郎(1~13代)、松本幸四郎(4~6代)など。

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(無為橋)

 さて、池についてはあまり期待せずに、山門をくぐり、本堂を拝んでから、裏の墓地に回ってみました。確かに無為橋という石橋があります。その下にはわずかながら水があり、それは予想外に大きな池につながっていました。何だ、ちゃんと池があるじゃないか。水辺で餌を探していたコサギが1羽、僕の存在に気づいて飛び立ちました。

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 僕は大いに満足してお寺をあとにしました。

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明福寺の鏡ヶ池

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所在地:江戸川区江戸川3-8-1

 天川山寂光院明福寺(浄土宗)は親鸞上人にまつわる伝承をもつ古刹です。

 寺の縁起によれば、嘉禄2(1226)年、常陸国の笠間から京都へ向かう途上、この地を通りかかった親鸞が干ばつに苦しむ村人の嘆きを聞き、雨乞いの祈念をして雨を降らせ、人々を救った縁から当地に草庵を結んで3年間を過ごしたということです。この草庵が明福寺の始まりというわけです。

 村人に教えを広めた親鸞がいよいよ京都に帰る際、自身の像を刻んで残したということですが、その時に姿を映したと伝えられる池が「鏡ヶ池」で、今も本堂の裏にあります。直径5メートルほどの丸い池です。

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 また、その時に親鸞が袈裟を掛けたという松(「けさ掛けの松」)が池のほとりに生えていましたが、昭和24年の台風で倒れてしまい、今は2代目が植えられて、水面に影を落としています。

 なお、親鸞の自刻と伝わる木造親鸞聖人坐像はほぼ等身大の像で、本堂に向かって右手の親鸞堂に安置されています。実際の作者は不明ですが、鎌倉期から南北朝期にかけて彫られた秀作で、江戸川区指定有形文化財となっています。

 お寺の近くをかつての鎌田川の跡である鎌田川親水緑道が通っており、旧江戸川合流点に近い河口部は池のようになっています。

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(鎌田川親水緑道の池)

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