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抜弁天・厳島神社の池

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(二つに分かれる道路に挟まれた抜弁天)

所在地:新宿区余丁町8

 新宿の職安通りを東へ行くと明治通りとの交差点から名前が抜弁天通りに変わります。この道路の地下を都営大江戸線が走っているわけですが、その東新宿駅と若松河田駅の中間に「抜弁天」信号があり、Y字路になっています。ここには抜弁天バス停もあります。

 弁天というからには弁天様が祀られているに違いなく、水と縁が深い弁天様があるとすれば、あるいは池もあるのかもしれない、と考え、でも、あまり期待せずに訪ねてみました。

 「抜弁天」こと厳島神社は道路が二つに分かれるちょうど真ん中にあり、近づいていくと、嬉しいことに水の音が聞こえるではありませんか。

 そして、小さな境内に入ると、ありました! 弁天池。まぁ、大した池ではないのですが、それでも予想以上にちゃんとした池があり、金魚や鯉がたくさん泳いでいます。水も清らかです。都会の真ん中の交通量の多い道路に挟まれた敷地にこういう池があるのを発見した時の喜びというのはやはりひとしおです。

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 ところで、この神社は平安時代の応徳3(1086)年、後三年の役で奥州征伐に向かう鎮守府将軍・源義家がこの地で富士を望み、はるか遠い安芸の厳島神社に戦勝を祈願し、奥州平定後の帰途に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀ったのが始まりだということです。ただ、源義家が奥州征伐の帰途に創建したと伝わる神社(ほとんどが八幡神社)は東京都内に相当数あるので、どこまで真実かはわかりません。

 それでも古くからある神社ではあったのでしょう。江戸時代には境内を南北に通り抜けられることから、苦難を切り抜けられるようにと祈願する庶民の崇敬を集め、抜弁天の通称がついたようです。ちなみに境内は今も南北に通り抜けられます。

 抜弁天は江戸六弁天(本所・須崎・滝野川・冬木・上野・東大久保=抜弁天)のひとつに数えられ、また山の手七福神の弁財天にもなっています。

 また、5代将軍・徳川綱吉の時代には「生類憐みの令」により、この一帯に2万5千坪の犬小屋がつくられたということです。

 ついでに抜弁天から道路を挟んだ向かい側に「志村軒(しむらけん)」というラーメン屋があります。看板には「創業1279万光年」と書いてあります。「光年」というのは時間ではなく、距離の単位なんですけどね。

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コメント

な~んちゃって志村軒は残念ながら4年前になくなっています

投稿: | 2012年4月16日 (月) 17時51分

コメントありがとうございます。
そうなんですね。なくなってしまいましたね。なんちゃって志村軒。

投稿: peepooblue | 2012年4月16日 (月) 21時27分

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

投稿: 履歴書の見本 | 2014年7月26日 (土) 09時03分

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