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2009年10月

粟島神社の弁天池

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所在地:豊島区要町2-14-4

 東京メトロ有楽町線・副都心線の千川駅に近い粟島神社は小さな神社ですが、境内に池があり石橋がかかっています。池の中には鯉や亀がいます。

 この神社は地元の人々が湧水の池のほとりに水神を祀ったのが始まりらしく、雨乞いの神事も行われていたということです。現在は湧水も失われ、人工的に給水しているようです。

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 また、この池は神田川の支流・小石川の上流にあたる谷端川の水源のひとつでした(谷端川はその後、石神井川に接続するように流路が変更され、現在は完全に暗渠化されています)。

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 神社の境内には二宮金次郎像が立っています。

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根津美術館の池

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所在地:港区南青山6-5-1

 3年半の休館を経て2009年10月7日にリニューアル・オープンした根津美術館は東武鉄道などを経営し、衆議院議員も務めた実業家・根津嘉一郎氏(初代、1860-1940)の遺志によって、その邸宅跡に1941年に開館した私立美術館です。

 そのコレクションは国宝7件、重要文化財87件、重要美術品96件を含む日本・東洋の古美術品で、約7,000点にも及ぶ大変充実したものです。

 そして、この美術館のもうひとつの見どころが、その庭園です。谷戸地形を取り込んだ起伏に富む園内は深山幽谷の趣があり、湧水による細長い池が連なっています。鯉が泳ぎ、カルガモが遊ぶ池の周囲にはとりわけ楓が多く、秋には大変美しい紅葉が楽しめることでしょう。もちろん、春には梅や桜、初夏にはカキツバタなど、季節ごとにさまざまな植物が庭を彩ります。

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 また、点在する茶室や石灯籠、石仏、道標、石塔などもそれぞれに庭園に風趣を添えています。

 世田谷区の国分寺崖線を生かした五島美術館の庭園と共通するところもありますが、南青山の地にこれほどの庭園があるとは予想以上でした。なにより、今も湧き水が健在なのはとても貴重なことです。

 

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抜弁天・厳島神社の池

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(二つに分かれる道路に挟まれた抜弁天)

所在地:新宿区余丁町8

 新宿の職安通りを東へ行くと明治通りとの交差点から名前が抜弁天通りに変わります。この道路の地下を都営大江戸線が走っているわけですが、その東新宿駅と若松河田駅の中間に「抜弁天」信号があり、Y字路になっています。ここには抜弁天バス停もあります。

 弁天というからには弁天様が祀られているに違いなく、水と縁が深い弁天様があるとすれば、あるいは池もあるのかもしれない、と考え、でも、あまり期待せずに訪ねてみました。

 「抜弁天」こと厳島神社は道路が二つに分かれるちょうど真ん中にあり、近づいていくと、嬉しいことに水の音が聞こえるではありませんか。

 そして、小さな境内に入ると、ありました! 弁天池。まぁ、大した池ではないのですが、それでも予想以上にちゃんとした池があり、金魚や鯉がたくさん泳いでいます。水も清らかです。都会の真ん中の交通量の多い道路に挟まれた敷地にこういう池があるのを発見した時の喜びというのはやはりひとしおです。

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 ところで、この神社は平安時代の応徳3(1086)年、後三年の役で奥州征伐に向かう鎮守府将軍・源義家がこの地で富士を望み、はるか遠い安芸の厳島神社に戦勝を祈願し、奥州平定後の帰途に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀ったのが始まりだということです。ただ、源義家が奥州征伐の帰途に創建したと伝わる神社(ほとんどが八幡神社)は東京都内に相当数あるので、どこまで真実かはわかりません。

 それでも古くからある神社ではあったのでしょう。江戸時代には境内を南北に通り抜けられることから、苦難を切り抜けられるようにと祈願する庶民の崇敬を集め、抜弁天の通称がついたようです。ちなみに境内は今も南北に通り抜けられます。

 抜弁天は江戸六弁天(本所・須崎・滝野川・冬木・上野・東大久保=抜弁天)のひとつに数えられ、また山の手七福神の弁財天にもなっています。

 また、5代将軍・徳川綱吉の時代には「生類憐みの令」により、この一帯に2万5千坪の犬小屋がつくられたということです。

 ついでに抜弁天から道路を挟んだ向かい側に「志村軒(しむらけん)」というラーメン屋があります。看板には「創業1279万光年」と書いてあります。「光年」というのは時間ではなく、距離の単位なんですけどね。

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富久さくら公園のビオトープ

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所在地:新宿区富久町21

 法務省の公務員宿舎などの跡地を地域住民の要望もあって新宿区が取得し、2009年4月5日に開園したのが富久さくら公園です。公園の計画作成から地元の方々が参加してワークショップを重ね、開園後の維持管理にも住民が関わっているということです。

 芝生の広がる公園は防災拠点としての機能も持っていて、災害用トイレ、100トンの防火貯水槽、消防訓練用防火ウォール、かまどベンチ、非常用水栓(井戸水)などの防災施設が備わっています。

 そして、公園内には小さいながらもビオトープ風の池があり、メダカや金魚が泳いでいます。

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成宗弁財天の弁天池(?)

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所在地:杉並区成田東5-29

 東京メトロ丸の内線・南阿佐ヶ谷駅の南西500メートルほどの地点、都立杉並高校の前に須賀神社と並んで鎮座しているのが成宗五色弁財天です。

 善福寺川沿いの低地に面した台地斜面に立地する当社は旧成宗村が開かれた頃、水神様の御加護を祈願して当地の湧水池のほとりに祠を建てたのが始まりといいます。御神体は相模国・江ノ島弁財天の洞窟で焚いた護摩の灰を煉り固めて作ったという伝承を持つ素焼きの板に浮き彫りにした曼荼羅像で、作られたのは鎌倉時代とも言われています。

 当社はその後もこの地域の水信仰の中心として雨乞いの神事が行われたり、富士講・榛名講・大山講などの人々が旅立ちに際して弁天池の湧水で禊を行って心身を清めたりしてきました。

 また、水不足に悩んでいた桃園川沿いの中野・高円寺・馬橋の三カ村が善福寺川から引水するため、天保11(1840)年に開削した新堀用水の中継池としても利用されました。

 これは現在の善福寺川・大谷戸橋(旧田端村)付近の広場堰から分水した水をこの弁天池に引き入れ、水位を上げて、北方を流れる桃園川に流すというものです。善福寺川と弁天池の間には台地があったので、ここは地下水路を掘って水を通し、弁天池から先にも善福寺川と桃園川の分水界の尾根(青梅街道が通っている)があるため、やはり地下4メートルほどのトンネルを掘って水を流すという江戸時代としては相当高度な土木工事によって開削されました。善福寺川~弁天池間の最初の水路は大雨やカワウソの掘った巣穴のせいで漏水が激しかったので、翌年、別ルートのトンネルを掘り直してもいます。

 個人的な話をすると、母の実家が昔、阿佐ヶ谷南1丁目(旧・馬橋)にあり、近くに滑り台などの設置された遊歩道があったのですが、これが新堀用水跡だったということを最近知りました。

 さて、この用水工事に際して、成宗弁天池は掘り下げられ、面積も300坪ほどに拡張され、その残土を利用して富士塚(成宗富士)が築かれました。

 と、ここまで書くと、まるで現在も立派な池があるみたいですが、池の周辺の土地はその後、住友銀行の所有となり、池も40坪ほどの面積になってしまいました。さらに土地が銀行から売却され、新たにマンションが建設された時点で池は完全に埋め立てられ、消滅してしまったようです。

 富士塚はそれより早く大正7年には崩されてしまったということです。

 ということで、現在の成宗弁財天はとても小さな敷地にあるのですが、その狭い境内に成宗富士の面影を伝える大日如来像・浅間神社・惣同行の碑・手水鉢などが残っています。

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(側面が焼け焦げた浅間神社・石橋の名残・大日如来。金網の下に池?)

 弁天社の社殿は近年、不審火で焼失してしまい、新たに再建されたもので、浅間神社の祠の側面も真っ黒に焼け焦げています。

 境内にはほかに中野・高円寺・馬橋の三ヵ村の用水路記念碑(下写真)やかつて水路にかかっていた石橋、三体の地蔵尊などの文化遺産もあり、意外に見どころは多いです。

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(用水路記念日)

 で、池はまったくないのか、というと、境内にまったく味気ないものではありますが、小さな水路と池が作られており、金魚が飼われています。

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(池には金網が掛けてあるので、持ち上げて撮影)

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御手洗不動旧跡の御手洗池

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所在地:板橋区小豆沢4丁目

 小豆沢公園の北側の道を東に向かい、体育館通りを越えてさらに崖線沿いに進むと、崖下に赤い橋のかかった小さな池があり、お堂が立っています。

 ここには古くから湧水の池があったようで、かつては富士講や大山講の人々が旅立ち前に心身を清めるための水垢離を行ったということです。池畔には石造りの不動明王が祀られていました。これが御手洗池であり、御手洗不動尊であったわけです。

 しかし、交通の発達などにより、富士登山や大山参詣が気軽に行けるようになるにつれ、ここで禊をする人も少なくなり、やがて荒廃してしまいました。

 昭和37年には不動尊が崖上の龍福寺(真言宗智山派、創建は室町末期)の山門脇の不動堂に遷されました。龍福寺の秘仏・薬師如来が出現したという伝承が御手洗池にあるという縁からなのでしょう。

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(薬王山東光院龍福寺。本尊は大日如来)

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(龍福寺山門前にある不動堂)

 近年、地元の方々が御手洗不動の旧跡に池を復元し、お堂を再建して、金銅の不動明王像と聖観音像を奉安したのが現在の御手洗池です。

 昔の池には清らかな水が眼病に霊験があるとされ、目を患った人々が多く訪れたということですが、現在は「水質上問題がありますので、目や口に入れないでください」という注意書きがあります。

 池には鯉や金魚が泳いでいます。

 

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小豆沢公園の湧水池

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所在地:板橋区小豆沢3丁目

 都営三田線の志村坂上駅は武蔵野台地の末端に位置し、その北側は荒川沿いの沖積低地となります。そのため、ここまで地下を走ってきた三田線は地上に出て高架となり、国道17号線(中山道)も急坂を下っていきます。この崖線沿いにはすでに紹介した「薬師の泉庭園」や「清水坂緑地」の湧水があります。

 薬師の泉庭園から東に続く崖線沿いに小豆沢(あずさわ)公園があり、ここにも北側斜面に湧水が見られます。

 崖下の道路より一段高い所に湧き出た水は小さな池をつくり、そこから水路を流れ下って、より大きな池に注いでいます。

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 ちなみに小豆沢の地名は、平将門への貢物を積んだ船が当時この台地下を流れていた荒川の入江で沈み、積み荷の小豆が流失したことに由来するという説と、上流から漂着した米を腐らないうちにと食べたことを裁判で評価され、祝いの小豆飯を炊いたことにちなむという二つの説があるようです。

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清水坂緑地の湧水

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所在地:板橋区志村2-27

 都営三田線の志村坂上駅で降りて地上に出ると、まっすぐ坂を下っていく国道17号線から左に分かれていく道があります。これが旧中山道で、坂の名前は清水坂。江戸を出発して中山道最初の難所でした。道端には庚申塔や道標も残り、かつては坂下に茶屋もあったということです。また、ここは中山道で唯一、右側に富士山が見える名所でもあったそうですが、現在はもはや富士山を拝むことはできません。

 曲がりくねった坂を下って右に折れると、都営三田線の線路をくぐります。ここまで地下を走ってきた三田線も台地の末端で地上に出てくるわけです。その線路脇に小さな緑地があり、壁面から水が湧き出ています。このあたりは昔から湧水が多く、それが清水坂という名前の由来になっていることは言うまでもありません。

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氷川つり堀公園

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所在地:板橋区氷川町21・大和町2

 石神井川にかかる国道17号線の新板橋の南詰、氷川神社の裏手にあるのが氷川つり堀公園です。この区間の石神井川を改修して直線化した際に蛇行する旧流路を埋め立てずに残し、釣り堀としたものです。

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(現在の石神井川。右に旧河道=釣り堀)

 開園時間は9時~16時(7・8月は8時30分~16時30分)。

 釣り具と生き餌(ねり餌は禁止)を持参すれば、誰でも自由に釣りを楽しむことができます。

 案内板によれば、石神井川には昔からハヤ(ウグイ)、ヤマベ(オイカワ)、フナ、タナゴ、コイ、クチボソ(モツゴ)、メダカ、ウナギ、ドジョウ、ナマズ、金魚などの魚がいて、そのうち、フナ、タナゴ、コイ、クチボソ、金魚がこの釣り堀に放されているそうです。

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 すぐそばの氷川神社にもかつては氷川池という池があったそうですが、すぐ横を通る国道17号線(中山道)の拡幅によって消滅したということです。 

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杉並区立読書の森公園の池

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所在地:杉並区荻窪3-39-16

 2006年3月25日、杉並中央図書館の隣にオープンした「読書の森公園」はその名前の通り、図書館で借りた本を木陰のベンチやあずまやでのんびり読むことができる公園、という画期的なコンセプトに基づいて造られています。

 図書館の敷地から直接行ける園内には芝生の丘や広場があり、杉並区にゆかりのある作家や詩人のモニュメントが配されています。

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(石井桃子のモニュメント)

 また、花壇には「アンネのバラ」も咲いています。これは1975年に区立高井戸中学の生徒たちが『アンネの日記』の感想文集をアンネの父親オットー・フランク氏に贈った返礼としてオットー氏から贈られたバラを生徒や区民が大切に受け継ぎ、育ててきたものです。

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 また、第二次世界大戦中、日本との共闘によるインド独立をめざしたチャンドラ・ボースの墓が杉並区内の蓮光寺(日蓮宗)にあることから、図書館にボースやガンジーに関する資料が展示されており、インドの慈善団体から寄贈されたマハトマ・ガンジーの銅像が公園内に設置され、2009年5月24日に除幕式が行われました。

 さて、そんな読書の森公園に池があり、もともと杉並区内の田んぼや小川に生息していた荒川水系のクロメダカが放され、「メダカの学校」となっています。

 池畔にはあずまやがあるので、ここで読書を楽しむというのも一興でしょう。

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