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2009年9月

西五反田・氷川神社の湧水池

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(湧水の池)

所在地:品川区西五反田5-6-3

 東急目黒線・不動前駅の南東250メートルほどの地点にある氷川神社は旧・桐ケ谷村(今の西五反田あたり)の鎮守で、古くから地元の崇敬を集めてきました。目黒不動尊などと同じように目黒川右岸の崖線沿いに位置し、参道を進むと、崖に突き当たり、社殿は石段を登った台地上にあります。

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(参道奥の石段の両側に湧水が見られる)

 その石段の左側に湧水があり、筧から水鉢に落ちるようになっていますが、訪問時にはわずかに水がしみ出る程度でした(下写真)。

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 一方、石段の右手には池があり、崖下から湧き出た水が注いでいます。この崖には古来、湧水の滝がかかり、「氷川の懸泉」「氷川の滝」と呼ばれて、「江戸七瀑布」の一つにも数えられたそうです。

 滝は平成の初め頃に境内整備に合わせて修復されたということですが、こちらも訪問時は水が止まっていました。

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(崖下から湧く水)

 水が透き通った池には魚などは見当たりませんでした。

 また、池畔には「鉄砲石」という石があります。これは幕末から明治維新の頃、志士たちが品川宿御殿山の料亭・観桜館の庭で鉄砲の標的に使った石ということで、無数の弾痕が残っています。

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(鉄砲石)

 崖上にある手水にも湧水が引かれているということです。

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武蔵小山緑道公園のビオトープ

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所在地:品川区小山4丁目

 2006年7月2日に東急・目黒線の不動前~洗足間が地下化され、その後、地上の線路跡が緑道として整備され、2009年春に完成しました。

 このうち武蔵小山~西小山間の武蔵小山緑道公園にはちょっとしたビオトープ(生き物たちが生活する空間)がつくられ、細長い池があります。水は循環式のようです。

 池にはホテイアオイが浮かび、ショウブなども植えられています。また、水の中にはヒメダカや金魚、アメリカザリガニ、なぜかグッピーまでいます。

 メダカは幼魚も泳いでいたので、ちゃんと第二世代が育っているようです。

 それにしても、グッピーがこのような場所で冬を越せるとは思えず、そもそもビオトープには不適切な魚でもあるので、誰かが勝手に放したものでしょうか。

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小山・厳島神社の弁天池

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所在地:品川区小山7-5

 東急目黒線の洗足駅から西小山駅に向かって線路の右(南)側の道を行くと、200メートルほどで神社の前に出ます。これが厳島神社(または弁天神社)で、ここに池があります。

 赤い橋の架かった池で、池の中に立つ噴水塔のほか、池の右奥からも水が流れ込んでいます。きっと昔は湧水があったのでしょう。

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 池には鯉や亀のほか、カルガモもいて、毎年かわいい雛が生まれるのが地元では話題になるようです。

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 僕が訪れた2009年9月の時点でもまだ幼鳥がいました。通常、カルガモの雛が誕生するのは4~5月ぐらいで、9月にはもう親と変わらないぐらいの大きさに成長していなければならないので、おかしいな、と思ったら、春に続いて8月23日にも10羽の雛が孵ったということでした。

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聖蹟蒲田梅屋敷公園の池

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所在地:大田区蒲田3-25

 京浜急行・梅屋敷駅の南方、線路と第一京浜にはさまれた細長い公園が聖蹟蒲田梅屋敷公園です。

 梅屋敷とは山本忠佐衛門という人物が食あたりや暑気あたりに効く「和中散」という旅の常備薬の売薬所を開いた屋敷内に文政年間(1818~1830)に、子の久三郎が梅の名木を集め、カキツバタなどの花を植え、東海道の休み茶屋を開いたことに始まるといいます。

 安藤広重の浮世絵にも描かれるほどの名所となり、東海道を行きかう旅人だけでなく、多くの文人や行楽客が訪れたほか、12代将軍・徳川家慶の鷹狩りの際の休み所にもなったそうです。

 また、明治以降も明治天皇の行幸が9度にも及んだということです。現在、公園名に聖蹟と付いているのはそのためです。

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 かつての名園も交通の激しい第一京浜と高架化工事が進む京浜急行にはさまれて、すっかり忘れ去られたような雰囲気ではありますが、循環式の池の周りに梅の木が植えられ、梅屋敷・和中散売薬所跡として大田区の文化財に指定されています。

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津の守弁財天・策の池

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所在地:新宿区荒木町

 丸の内線・四谷三丁目駅に近い荒木町は地形の起伏が非常に激しく、階段の多い町で、その中心部の窪地にひっそりと小さな池があり、鯉や亀が泳いでいます。また、池の片隅に弁天様(通称・津の守弁財天)が祀られています。

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 池の名前は「策(むち)の池」。説明板によれば、江戸時代の古書『紫の一本(ひともと)』に出てくる徳川家康が鷹狩りの際、この場所にあった井戸でムチを洗ったという話に由来するといいます。井戸から湧き出た水は落差4メートルほどの滝となって池に注いでいたので、この池を「策の池」と呼ぶようになったというのです。ただ、家康がムチを洗った井戸は現在の新宿駅西口付近にあったという説もあり、新宿エルタワーの敷地内の植え込みに史跡の解説板が立っています。

 とにかく、この滝は「十二社の滝」「目黒不動の滝」「王子の名主の滝」などと並び、江戸八井として庶民に愛されたということです。

 その後、天和3(1683)年にこの滝を含む一帯は美濃国高須藩主・松平摂津守の上屋敷となり、湧水をせき止めた大きな池を中心とする庭園がつくられ、庶民からは遠のきましたが、明治の廃藩置県後、庶民に開放され、明治7年に荒木町となります。当時はまだ滝も健在だったようで、滝見客相手の店もでき、荒木町は多くの芸者を擁する花街へと発展します。

 今では大名屋敷だった時代の面影はほとんど残っていませんが、「摂津守(せっつのかみ」を略した「津の守(つのかみ)」の呼称は弁財天の名前のほか、通りの名などにも残っています。

 その弁財天は古くから池畔に祀られていたわけですが、現在の弁天社は昭和31年に地元の崇敬者によって再建されたものだということです。

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 もちろん、現在は滝はありませんが、池の背後は崖になっており、昔の滝の様子を想像することはできます。

 説明板に「現在では湧き水は減って池も埋まり、滝つぼ跡に昔の語り草をわずかに残しています」とありますが、湧き水は「減って」であって「涸れて」ではないところを信じたい気持ちです。

 いずれにせよ、意外な場所にある池で、都会のちょっとした奇跡のような存在です。

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大井の水神池

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所在地:品川区南大井5-14

 原の水神池の北側の道を東へ行くと、品川歴史館(庭園に水琴窟あり)の前で池上通りと交わり、さらに東へ進むと、坂を下って、JR東海道線をくぐったところに品川区指定史跡「大井の水神」があります。

 ここの池も「原の水神池」や「滝王子稲荷神社の池」と同様に厳重にフェンスで囲われており、池の中には鯉や金魚が泳いでいます。

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 武蔵野台地のまさに末端部に湧き出す水は村人から「柳の水」「柳の清水」と呼ばれ、飲み水や農業用水として大切にされてきました。そのため、池のほとりに水神が祀られたわけです。記録によれば、貞享2(1685)年に大井村の桜井伊兵衛、大野忠佐衛門が願主となって、九頭龍権現を祀ったのが始まりで、明治以降は祭神が水葉乃女命(みずのはのめのみこと)に変わりました。日照りの時はここで雨乞いの神事も行われ、また、歯痛を止める御利益もあったと伝えられています。

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 湧水は昭和50年頃に涸渇し、現在はポンプアップした地下水が境内に湧き出ています(下写真)。水神は溶岩でつくられた岩窟の中に祀られ(上写真)、岩の上からも水が流れ出て、いずれも池に注いでいます。

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 また、境内には二宮金次郎像があります。

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 ついでながら、品川歴史館から大井の水神への坂の途中にある来迎院(天台宗)の境内にも池というか貯水槽があります(下写真)。人が近づけない場所に隠れるように存在し、消防用水として利用されるようですが、ここの水源はどうなっているのでしょうか。地形的には湧水が存在したとしてもおかしくないようなのですが…。

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(来迎院の貯水槽)

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滝王子稲荷神社の池

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所在地:品川区大井5-12-8

 原の水神池からさほど遠くない大井5丁目の滝王子稲荷神社にも似たような湧水の池があります。

 こちらも池は柵で囲まれ、水に近づくことはできません。池には鯉や金魚が泳ぎ、池畔には品川区の天然記念物に指定されたタブの巨木がそびえています。推定樹齢は250~300年ということです。タブノキは温暖な地方に分布する常緑広葉樹で、関東では海岸部に多く見られます。

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(画面左端の木が天然記念物のタブノキ)

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大井・原の水神池

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所在地:品川区西大井3-1

 JR横須賀線・西大井駅の南南東500メートルほどの住宅地に出石児童遊園があり、その敷地内にひっそりとあるのが原の水神池です。

 ここは武蔵野台地の末端部にあたり、今も湧水が健在です。昔は付近の農家が出荷する野菜を洗う「洗い場」として利用され、水神様が祀られています。

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(滝のぼりの鯉が彫られた水神社)

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(水神池の碑と鯉塚)

 また、清らかな水は眼病に効くと言われ、治るとお礼として池に鯉を放す風習もあったそうで、そのせいか、池には今も鯉がたくさん泳いでいます。鯉以外にもスッポンを含む亀、金魚やメダカ、なぜかグッピーらしき魚までいます。

 かなり水深がありそうで、危険防止のためか厳重に柵で囲まれており、すでに洗い場としての役割は失われていますが、品川区の史跡に指定されています。

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池上本門寺・松濤園の池

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所在地:大田区池上1丁目

 池上の本門寺は日蓮上人入滅の霊蹟として知られる日蓮宗の大寺院で、正式名を長栄山大国院本門寺といいます。

 日蓮は弘安5(1282)年、身延山を下り、常陸国に湯治に向かう途上、池上の郷主・池上宗仲の館に滞在し、この地において同年10月13日に61歳で世を去りました。宗仲は生前に日蓮が創建した本門寺に「法華経」の文字数と同じ69,384坪の土地を寄進し、寺は大いに発展し、その後も日蓮宗の大本山として信仰を集め、現在に至っています。

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(高台上にある本門寺には加藤清正寄進の石段を登る)

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(本門寺境内)

 広大な寺域の中心部は急な斜面に囲まれた台地上にあり、その北部に江戸初期に小堀遠州によって作られた庭園・松濤園があります。元来、住職の住まいである本坊の奥庭だったことから通常は非公開ですが、毎年9月上旬に1週間だけ一般公開され、散策することができます。

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 この庭園は起伏に富んだ地形を生かした回遊式池泉庭園で、周囲を丘に囲まれ、都会の喧騒からも隔絶されているため、時代劇の撮影でもたびたび使われているということです。

 また、1868年に江戸城の無血開城を取り決めた西郷隆盛と勝海舟による有名な会談の場所としても知られています。これは当時、江戸に進軍してきた新政府軍が本門寺に本陣を置いていたためで、会談が行われた池畔の四阿は現存しませんが、石碑が立っています。

 鯉が泳ぐ池の水源は地下水の汲み上げと思われますが、池畔には巨大な石灯籠なども配され、滝や渓流などもつくられています。ただ、訪問時には滝の水は止まっていました。

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(庭園には茶室もある)

  

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多摩川台公園・水生植物園の池

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所在地:大田区田園調布1丁目

 東急東横線・多摩川駅の西側の多摩川を見おろす丘陵上にあるのが多摩川台公園で、この一帯には多数の古墳が群集していることでも知られています。

 その園内の旧調布浄水場跡地に水生植物園があります。この調布浄水場は大正7年から昭和42年まで多摩川から汲み上げた水を浄化して、周辺地域に給水していました。

 レンガ造りの遺構が残る跡地のうち、沈殿池跡が水生植物園となっています。木道を渡した池にはメダカなどが泳ぎ、スイレンやコウホネ、アサザ、ショウブ、ハンゲショウ、その他の水生植物や湿性植物が植えられ、サギ草も白い花を咲かせていました。ここは大田区ですが、隣の世田谷区の花がサギ草です。

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(水生植物園。向こうの森が亀甲山古墳)

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(池の中に咲くサギ草)

 この池の西側のこんもりとした森は多摩川流域では最大級の前方後円墳・亀甲山古墳です。4世紀後半頃の築造と推定され、長さは107メートル余りもあり、後円部の一部が浄水場の建設で欠けてしまったものの、ほぼ原形をとどめています。

 浄水場のうち、もとの濾過池跡は四季の野草園となり、地下にあった配水池には雨水を貯めて、現在の池の水の水源となっているそうです。

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(濾過池跡の野草園。画面奥が水生植物園)

 

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田園調布駅前の池

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所在地:大田区田園調布3丁目

 東急東横線の田園調布駅の西側は駅前から放射状に街路が広がり、いかにも東京を代表する郊外型高級住宅街らしい景観を見せています。そして、その中心となる駅前ロータリーの真ん中に池があります。

 噴水のある半円形の池には鯉や金魚が泳ぎ、スイレンが咲いています。そして、その池を取り巻くようにベンチが置かれ、その背後の花壇にはバラが植えられています。残念ながら、訪問時にはバラはほとんど咲いていませんでしたが、開花時にはさぞかし見事でしょう。

 さすが田園調布と思わせるような気品のある駅前池です。

 噴水上の石碑には「この歴史ある田園都市をみんなで美しく護りましょう」と刻まれています。

 ちなみに現在の駅は地下化されており、写っているのは旧駅舎です。

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練馬区・中里幼稚園の湧水池

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所在地:練馬区大泉町1丁目

 練馬区と埼玉県和光市の境界に近い大泉町1丁目の白子川左岸沿いの崖線斜面に「越後山憩いの森」があり、その並びに小さな池とプールがあります。これは横の急坂を上った台地上にある中里幼稚園の土地で、水源は崖下の湧水です。当然ながら部外者が立ち入ることはできず、木が茂っているので湧出点は確認できません。池もプールも小さなものではありますが、湧水のプールというのは都内では貴重かもしれません。

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 池の水は道路の下をくぐって、そのまま白子川に落とされていますが、それを見ても、かなりの湧出量であることが窺えます。

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 また、この湧水が近くの八坂台児童遊園の池にも供給されているようです。ただ、こちらは訪問時には水がありませんでした(下写真)。

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 ついでに、対岸の練馬区立八坂小学校にもちょっとした池があり、フェンスの外からのぞくことができます。まぁ、普通の池ですが、公立小学校の池としてはなかなか立派な方でしょう(写真はありません)。

 幼稚園にしても小学校にしても池を見学する場合はフェンスの外から、となりますが、余計に不審者に見えかねないので注意しましょう(笑)。

 これが200件目の記事です。東京23区内だけでも、けっこうたくさんの池があるものですね。

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大田区立小池公園の池(上池台小池)

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所在地:大田区上池台1-36

 東急池上線・長原駅から南方へ歩くと、道は台地斜面を下っていき、やがて大きな池のある公園に出ます。

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 ここが上池台小池で、昭和9年から約70年にわたって釣り堀として親しまれましたが、その後、営業を取りやめ、大田区が池のある公園として整備し、今年(2009年)、完成しました。

 三方を台地に囲まれた谷戸に位置する湧水池で、古くは溜池として利用されていたのでしょう。住宅街にある池としてはかなり大きなものですが、なぜ小池なのかというと、ここから北西の方向により大きな洗足池があるからで、小池があるのは呑川に水が流れる洗足池の谷から枝分かれした支谷にあたります。

 さて、僕がこの池を訪れるのは2度目で、前回(2006年10月)は公園整備のため池はフェンスで囲まれており、工事に備えた測量が行われていました。下が当時の写真で、まだ釣り堀時代の名残が見られます。

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(整備前の小池 2006.10)

 ほぼ同じ場所から撮ったのが次の写真。池の面積はやや縮小したようですが、周囲をぐるりと散策できる園路が整備され、水生植物や湿性植物も植えられています。

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 湧水も数か所で確認でき、子どもたちが水遊びできるゾーンや水辺の生き物の生育に適した場所も用意されています。水深も浅いところ、深いところ、さまざまなようです。

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(湧水)

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(ロープで囲まれた子どもの水遊び場)

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(湿地)

 水の中には鯉はあまり多くなく、そのかわりメダカがたくさん泳いでいました。また、シオカラトンボやギンヤンマなどのトンボ類も多く飛び交い、産卵風景も見られました。さらにカワセミのカップルも盛んに飛び回っています。1羽が小魚をくわえ、もう1羽のところに運んでいたのはオスのメスに対する求愛行動でしょうか。

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(産卵中のギンヤンマと休憩中のシオカラトンボ)

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(水を飲むアオスジアゲハ)

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(小魚をくわえたカワセミ) 

 池畔に植えられた木々はまだ若い苗木ばかりですが、これからが楽しみな水辺の公園です。

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(公園の北東端。ここにも水が湧いている)

 

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東郷神社の神池

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所在地:渋谷区神宮前1丁目

 原宿・竹下通りの北側の小高い丘に東郷神社があります。日露戦争の日本海海戦においてロシア・バルチック艦隊を破った連合艦隊司令長官として有名な軍人・東郷平八郎(1848-1934)を神として祀る神社で、昭和15年に創建されました。戦時中に空襲で焼失し、昭和39年に再建され、現在にいたっています。

 明治通りから鳥居をくぐって参道を進むと、神池があります。もともと、この土地は鳥取藩主・池田家の屋敷跡で、古くから湧水の池があり、その面積は800坪ほどもあったそうです。

 現在の池はそれよりはかなり縮小されましたが、それなりに立派で、鯉や亀がたくさん泳ぎまわっています。

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 池の北側には結婚式場の東郷記念館があり、僕が訪れた時も池をバックに新郎新婦が記念撮影をしていました。

 池の南側を回り込むように坂を上っていくと、東郷神社です。

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五島美術館の池

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(庭園に湧く水)

所在地:世田谷区上野毛3-9-25

 東急電鉄の創始者・五島慶太氏が集めた国宝「源氏物語絵巻」などを含む美術品を収蔵・展示する五島美術館は国分寺崖線上の高台に位置し、崖線の斜面を生かした庭園が作られ、2棟の茶室があります。コブシの老木(都指定天然記念物)をはじめ豊かな緑におおわれ、起伏に富んだ園路をたどると、多くの石仏、石燈籠などが点在し、頭上では野鳥の声が賑やかです。そして、斜面下からはあちこちで水が湧き出し、小さな三つの池をつくっています。東から菖蒲池、瓢箪池、蓬莱池です。これらの水は崖線下を流れる丸子川に流れ込んでいます。
 庭園の見学のみは入園料100円。

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(菖蒲池)

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(瓢箪池)

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(蓬莱池)

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(仏域の湧水)

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柏の宮公園の池

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(日本庭園の池)

所在地:杉並区浜田山2-5

 京王井の頭線・浜田山駅の南方にある柏の宮公園は南側を流れる神田川に面した高台とその斜面、台地下の低地からなる公園で、元は旧日本興業銀行の総合グラウンドでした。その跡地を杉並区が買収し、防災公園として整備したものです。

 公園化に際しては延べ380人を超える区民が参加して話し合いを重ね、杉並の原風景を後世に伝えるべく、武蔵野の雑木林の保存・創出に加え、草地や疎林の広場、さまざまな動植物が観察できる水生生物の池(ビオトープ)、茶室のある日本庭園などから成る区立最大の防災公園が完成しました。

 そもそも、「柏の宮」の地名は室町時代、太田道灌がこの地に鎌倉鶴岡八幡宮の別殿(現在の下高井戸八幡神社)を柏木左右衛門に建立させたことに由来します。

 江戸時代には下高井戸八幡は「柏木之宮」と呼ばれ、この地域の地名も「柏之宮」となったようです。

 大正期には高井戸村の実業家・横倉善兵衛氏がこの地を整備して数寄屋を建て、「柏ノ宮園」と名づけて、文人墨客を招き、歌会、観月会などを催し、昭和初期には絵ハガキになるほどの名所となったそうです。

 戦後はこの一帯に企業や官庁のグラウンドが数多く造られ、この地も旧日本興業銀行の「柏の宮総合グラウンド」として利用されていましたが、近年、その跡地を杉並区が公園化し、一般に開放されるとともに、歴史のある旧地名(小字名)が公園の名称として末長く伝えられることになったわけです。

 さて、園内には台地上にビオトープの池があり、水生植物や湿性植物が植えられ、メダカなどが放されています。池の上をイトトンボやシオカラトンボ、ギンヤンマなどさまざまなトンボが飛び交い、盛んに産卵していました。水中にはたくさんのヤゴが棲んでいることでしょう。

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(ビオトープ)

 ビオトープから台地を下ると、田んぼと溜池があります。かつては神田川沿いにこのような水田が広がっていたものと思われます。

 溜池にはハスなどが植えられ、池畔にはミソハギなどが咲いていました。

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(田んぼと溜池)

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(溜池)

 公園の南西側の樹林が日本庭園となっていて、ここにも池があります。かつてはこの崖下に湧水の池があったそうですが、現在の水源は井戸水の汲み上げと思われます。斜面上に湧き出た水が流れ下って、池に注いでいます。

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(茶室のある日本庭園)

 池を見降ろす位置に立つ茶室は「林丘亭」といい、寛永年間に若狭小浜藩主・酒井忠勝が新宿区矢来町にあった酒井家下屋敷の池畔に小堀遠州に命じて作らせたものだといいます。3代将軍・家光も訪れたそうです。

 後に下屋敷跡の一部が旧興銀寮となり、昭和34年に当時の頭取が敷地内にあった茶室を現在地に移築復元したということです。また、公園化に際しても杉並区が改修を加えています。

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葛飾あらかわ水辺公園

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所在地:葛飾区西新小岩3丁目~新小岩1丁目

 外谷汐入庭園から中川の対岸、荒川の河川敷にあるのが葛飾あらかわ水辺公園です。外谷汐入庭園からだと上平井橋で中川を渡り、綾瀬川左岸を600メートル上流まで歩いて東四つ木避難橋を渡って、綾瀬川右岸=荒川左岸を戻ってこなければなりません。

 首都高速・中央環状線の高架橋が「かつしかハープ橋」で綾瀬川を斜めに渡って左岸から右岸に移ってきたところに中川の上平井水門があり、その下手に中川から荒川に通じる中川水門があります。

 この中川と荒川を結ぶ水路の下流側が「あらかわ水辺公園」で、下流のJR総武線鉄橋の下手まで荒川に沿って1.2キロにわたって続きます。

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(左が中川、右が荒川と水辺公園。頭上は首都高速 )

 この公園は荒川河川敷に自然な水辺の景観を復元し、さまざまな水辺の生き物や植物を観察できるようにと平成12(2000)年に開設された自然公園で、上流から「水辺ゾーン」「生物ゾーン」「広場ゾーン」「湿地ゾーン」の4つの区域で成り立っています。遊具などはなく、園路を散策しながら自然と触れ合うための公園です。

 まず「水辺ゾーン」には荒川から水が入り込むワンド(入江)があります。このあたりの荒川は淡水と海水が混じりあう汽水域で、潮の干満によって水位が変化します。そのため、満潮時にはワンドに水が入り込む一方、干潮時には干潟が出現します。僕が訪れた時は干潮だったようです。

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(ワンドは干潮時には干潟となる)

 干潟にはクロベンケイガニなどの生き物が棲み、水鳥の観察もできます。ただし、水辺には近づけないようです。

 「生き物ゾーン」には河原にできた細長い池が続きます。ただ、アシなどの水生植物が生い茂り、水面が見える場所は限られているようです。もちろん、植物の茂り具合は季節によって変化するので、冬場はもう少し水面が見えるのかもしれません。水深は1メートル近くあるようです。説明板によれば、メダカやヤゴなどが棲んでいるようですが、ほかにもいろいろな生き物が潜んでいそうです。

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 この一帯の散策路は夏場はかなり草深く、背の高い草をかき分けながら進むような具合です。虫も多く、よほど自然が好きな人でないと、歩きたくない道かもしれません。

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(夏草の生い茂る散策路)

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(ショウリョウバッタ)

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(クズの花)

 平井大橋(蔵前橋通り)の下をくぐると、原っぱが広がる「広場ゾーン」です。

 そして、総武線の鉄橋をくぐると、窪地に水がたまってできた「湿地ゾーン」。もちろん、雨が少なければ、池も消滅するのでしょう。ここでは散策用の木道が設置されています。

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 説明板によれば、フトイ、サンカクイ、ヒメガマ、タマガヤツリなどの湿性植物やクロベンケイガニ、ニホンアカガエルなどの生物が見られるようです。

 公園はここまでで、ここから下流は江戸川区です。平井大橋まで戻って中川を渡れば、総武線の新小岩駅が近いです。

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外谷汐入庭園の池

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所在地:葛飾区西新小岩3-42-3

 東京下町を蛇行しながら流れる中川の綾瀬川合流点の上手に架かるのが上平井橋。その橋の東側にある小さな庭園が外谷汐入庭園です。

 そもそも、このあたりは中川や綾瀬川の水面よりも周囲の住宅地の方が土地が低いという地域で、両河川の合流点の下手には上平井水門があります。いわゆる防潮水門で、東京湾からの高潮や津波の侵入を阻止し、周辺地域を水害から守ることを目的に昭和45年に設置されました。

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(中川と綾瀬川の合流点。中川にかかる上平井橋の東側=画面では右側に外谷汐入庭園はある)

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(綾瀬川右岸から見た中川との合流点と上平井水門。上は首都高・中央環状線かつしかハープ橋、右は荒川)

 さて、外谷汐入庭園です。もとは米穀商を営む実業家・外谷辨次郎氏が大正12年の関東大震災後に邸宅を構えた土地で、その後、昭和8年までに築山や池を持つ庭園が造られました。

 この邸宅跡を外谷氏の遺族が葛飾区に寄贈し、区が庭園跡を改修して公園化したのが、現在の外谷汐入庭園というわけです。

 なぜ汐入庭園かというと、庭園の池が元はすぐ西側を流れる中川(この付近の中川は淡水と海水が混じる汽水域)から水を引いており、潮の干満に合わせて池の水位も変化するようになっていたからです。ただし、現在は池と中川の関係は断たれており、ただ堰の遺構が残るのみです。

 鯉や亀が泳ぐ池には小さな滝や沢渡りもあります。

 庭園には全国各地から集められた19種類もの自然石が配され、石灯籠や石塔も随所に配置されています。また、四季折々の景観が楽しめるように、さまざまな植物が植えられています。僕が訪れたのは初秋だったので、ムラサキシキブの実が色づき始め、ススキが穂を出していました。

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(かつて中川から水を引き込んでいた堰の遺構)

 

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二子玉川・兵庫島のひょうたん池

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所在地:世田谷区玉川3丁目

 国道246号線の二子橋と東急田園都市線・二子玉川駅の下で多摩川に支流の野川が合流します。この二つの川に挟まれた、こんもりとした林が兵庫島です。

 伝説によれば、南北朝時代の1358年、新田義貞の子・義興が新田家再興をめざし、軍勢を率いて鎌倉に向かう途中、矢ノ口の渡し(現在の調布市)で敵の足利軍の罠にはまり、全滅。義興の従者だった由良兵庫助の遺体が流れ着いたのがこの場所で、土地の人々が密かに葬ったことから、兵庫島の名がついたそうです。ただし、義興が謀殺されたのは、ここより下流の矢口の渡し(現在の大田区)だという説もあり、そこには義興の祟りを恐れて建立されたという新田神社もあります。となると、遺体が川上の兵庫島に流れ着いたというのは不自然に思えますが、当時はこのあたりまで潮の干満の影響を受けていたとしたら、満ち潮にのって漂着したというのも考えられないことではありません。あくまでも伝説ということなので、今となっては確かなことは分かりません。

 とにかく、その兵庫島の傍らに池があります。「兵庫池」とか、その形状から「ひょうたん池」とか呼ばれているようです。池畔には多摩川水神が祀られています。

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(画面左の林が兵庫島)

 鯉が泳ぐ池の上流側はせせらぎになっていて、こちらは水遊びの親子連れで賑わっています。流れているのはおそらく河川敷の地下にある野川浄化施設からの水と思われます。僕もサンダルで訪れたので、水源付近で水に足をつけてみましたが、冷たくて気持ちよかったです。ただ、川底に藻が生えていたりして、必ずしもキレイとは言えません。

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(せせらぎ)

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(こちらは多摩川本流)

 

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水元公園その13 東金町地区の池

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(水元公園東金町地区の池)

所在地:葛飾区東金町8丁目

 水元公園散策もいよいよ最後です。まぁ、ごんぱち池で最後にしてもいいのですが、まだ池があるので、池探訪者としては無視できません。

 水産試験場跡や「ごんぱち池」から道路を挟んだ東側は近年、公園用地を取得して、水元公園が拡張された区域で、まざ造成工事が進行中です。そのため、立ち入りできない区域もあるのですが、とりあえず、池を2つ紹介しておきます。

 まずはごんぱち池から道路を挟んだ東側にある池。成り立ちは不明ですが、わりと野趣あふれる池です。下の2枚の写真は同じ池の冬と夏の姿で、古墳みたいな築山の上から撮影しました。

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 さらに小合溜に続く水路(水はほとんど流れていない)に沿って東へ行き、外郭環状道路(国道298号線)の下をくぐると、新たに造成された区域で、東端は江戸川の土手に接しています。

 この区域はまだ整備中ですが、開放されているエリアに「修景池」という人工的な池があります。夏の水面はびっしりと藻に覆われ、しかも、カエルだらけでした。水元公園の池はそれぞれに魅力がありますが、この池はちょっとなぁ…と言いたくなるような池ではあります。カエル好きにはたまらないのかもしれませんが。

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(カエルだらけの修景池)

 水元公園東金町地区にはほかに最東部に釣り堀の不動池というのもありますが、写真がありません。整備工事が終了して全面開放されたら、また見に行きたいと思います。

 とりあえず、水元公園の池の紹介はこれでおしまいにします。

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水元公園その12 権八(ごんぱち)池

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所在地:葛飾区東金町5丁目

 水元公園の南東部、オニバス池の南側に隣接する池が「権八(ごんぱち)池」です。

 この池は江戸時代に小合溜となる、中川と江戸川を結ぶ水路の一部であったとされ、明治13(1880)年頃の記録ではすでに現在の位置に池としての形があったようです。

 この池は東京23区内では唯一のアサザ自生地として大変貴重です。アサザはミツガシワ科の水生植物で、夏の朝に黄色い花を咲かせます。

 環境保全のため、オニバス池と同様にフェンスで囲まれ、開花時期のみ開放されますが、池の南側はフェンスもなく、釣り人の姿が見られます。そのあたりにはアサザも見当たりませんでした。

 池のすぐ東側がバス通りで、金町と三郷を結ぶ路線バスが通っています。最寄りの停留所は桜土手。

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(冬のごんぱち池)

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水元公園その11 オニバス池

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(水産試験場跡地のオニバス池)

所在地:葛飾区水元公園

 水元公園南東部の東京都水産試験場跡地の一角にオニバス池があります。

 オニバスはスイレン科の一年生植物で、水面に浮く円形の葉は直径が1メートル以上にもなります。日本では本州以南に自生し、昔は小合溜でも見られたそうですが、姿を消してしまい、今では水産試験場跡地の池の一つにのみ自生しています。開花時期は7月中旬から9月中旬。東京都の天然記念物に指定されています。

 貴重な植物を保護するため、通常はフェンスで囲われて閉鎖管理されており、夏の開花時期のみ一般公開されます。

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(オニバスの花。カエルも写っています)

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水元公園その10 水産試験場跡地の池

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(水産試験場跡地)

所在地:葛飾区水元公園

 小合溜の東側には1997年まで東京都の水産試験場があり、その跡地も公園として整備されました。養魚場の施設を改修して、「散策池」、「水辺環境復元池」、「水質浄化池」、「葛飾区金魚展示場」「ハス池」などが並んでいます。

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(散策池)

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(昭和30年頃の小合溜の自然を復元する水辺環境復元池)

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(イグサを利用した水質浄化池に咲くミソハギ)

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(江戸前金魚の繁殖・展示を行う金魚展示場)

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(コウホネなど水生植物の栽培も行われている)

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(カワウ)

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(ハス田) 

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水元公園その9 小合溜(南東部)

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(南東端から見た小合溜。左が花菖蒲園。奥に水元大橋。右はみさと公園。)

所在地:葛飾区水元公園

 花菖蒲園を過ぎると、小合溜の広大な水面も終わりです。その南東端(上流部)はアシなどが生い茂って、再びバードサンクチュアリとなっています。

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(カルガモが寄ってきた)

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(小合溜の南東部は野趣あふれる姿)

 その東側は東京都水産試験場の跡地で、水路を流れる水が堰から一段低い小合溜に流れ込んでいます。

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(水路から一段低い小合溜に水が落ちる)

 小合溜の水はかつては江戸川から取水しており、水路が残っていますが、現在は大場川と中川から導水して、水郷の景観を維持しているようです。

 また、小合溜の南東端から水産試験場跡地にかけては地図に東京都(葛飾区)と埼玉県(三郷市)の境界線が描かれておらず、現在も境界をめぐる争いが続いているようです。

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